酒は涙か溜息か 歌詞の意味 古賀政男

遠いえにしのかの人に 夜毎の夢の切なさよ

『酒は涙か溜息か』(さけはなみだかためいきか)は、作詞:高橋掬太郎(きくたろう)、作曲:古賀政男により、1931年(昭和6年)9月にレコード発売された歌謡曲。歌:藤山一郎。

高橋掬太郎は当時北海道の地方新聞記者で、本作が作詞家デビュー曲。古賀政男も日本コロムビアと専属契約を結んだばかりの頃で、歌手の藤山一郎に至ってはまだ東京音楽学校の学生だった。

函館市銀座通りの『酒は涙か溜息か』歌碑

写真:函館市銀座通りの『酒は涙か溜息か』歌碑(出典:歌碑を訪ねて西東)

作詞者の高橋掬太郎が勤めていた函館日日新聞社があった銀座通りは、当時は函館の歓楽街の中心として大変賑わっていた。

ある時、高橋の馴染みの芸妓・千成が廃業することとなり、その送別会で高橋は即興で扇に詩を書き、彼女へ餞別として送った。これが『酒は涙か溜息か』の元ネタとなっているという。

【YouTube】藤山一郎 酒は涙か溜息か

【YouTube】美空ひばり 酒は淚か溜息か

歌詞について

歌詞には特段難解な表現はないが、簡単に補足してみたい。以下、歌詞引用。


酒は涙か溜息か
心のうさの捨てどころ


遠いえにしのかの人に
夜毎の夢の切なさよ

<間奏>


酒は涙か溜息か
かなしい恋の捨てどころ


忘れた筈のかの人に
のこる心をなんとしょう

現代の歌謡曲と比べると各節の歌詞が短く具象的ではないが、短いからこそ聴き手の想像力が一層かき立てられ、聴く者それぞれに響く人生の物語を心に思い描くのだろう。

「えにし(縁)」については、小学館「デジタル大辞泉」によれば、「えん。ゆかり。多く男女間についていう。」と解説されている。男女間の縁が遠いということで、ここでは片思いの切ない心境が唄われているようだ。

「かの人」は、話し手から離れた位置のものであることを示す古語的な表現。これにより、思いを寄せる人との心の距離感が強調されているように感じられる。

日本の唱歌『故郷(ふるさと)』でも「かの山」「かの川」という表現が使われているが、その場合は時間的・場所的な距離感を意図したものだろう。

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