武田節 たけだぶし 歌詞の意味

武田信玄の格言や風林火山が織り込まれた民謡調の歌謡曲

「甲斐の山々 陽に映えて」が歌いだしの『武田節(たけだぶし)』は、甲斐の戦国大名・武田信玄を題材とした民謡調の歌謡曲(1961年)。

歌詞では、有名な「人は城、人は石垣」の格言や、間奏部での詩吟「風林火山」など、武田信玄にまつわるキーワードが散りばめられている。

写真:山梨県甲府市の武田神社(出典:Wikipedia)

作曲:明本京静、作詞:米山愛紫、三橋美智也の歌唱でレコードはミリオンセラーを記録し大ヒット。

武田信玄に縁の深い長野県や山梨県の小・中学校では、運動会などで『武田節』を用いた創作舞踊が披露されていた時期もあり、踊った思い出がある地元出身の方もいらっしゃるだろう。

かつて『武田節』は、特急「あずさ」「かいじ」の車内放送チャイムや「かいじ」甲府駅発着メロディにも使われていた。

山梨県都留市(つるし)に本部を置く都留文科大学(つるぶんかだいがく)では、『武田節』が応援歌に指定されている。

【YouTube】武田節/三橋美智也

歌詞

甲斐の山々 陽に映えて
われ出陣に うれいなし
おのおの馬は 飼いたるや
妻子につつが あらざるや あらざるや

祖霊まします この山河
敵にふませて なるものか
人は石垣 人は城
情けは味方 仇は敵 仇は敵

(詩吟)疾きこと風の如く
徐かなること林の如し
侵掠すること火の如く
動かざること山の如し」

躑躅ヶ崎の 月さやか
うたげを尽せ 明日よりは
おのおの京を めざしつつ
雲と興れや 武田武士 武田武士

人は城、人は石垣

写真:松代城(かつての海津城/出典:Wikipedia)

『武田節』一番の歌詞では、武田信玄の格言とされる次のような名言(の一部)が織り込まれている。

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり

この格言は、武田家の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍鑑」(こうようぐんかん)のなかで、「ある人が信玄公の御歌として言う」として紹介されている一節。

意味合いとしては、人心こそ強固な城以上の価値があり、城があっても人の心が離れてしまえば何もならないということ。

人に情をもって接することこそ国の守りの要であり、人に恨みや害意をもって接してはならないという教訓。

風林火山

『武田節』の間奏部では、有名な風林火山の詩吟が唄われる。

疾如風(ときこと かぜのごとく)
徐如林(しずかなること はやしのごとく)
侵掠如火(しんりゃくすること ひのごとく)
不動如山(うごかざること やまのごとし)

意味としては、軍の移動は風のように速く、陣は林のように静かにひそみ、攻撃は火の勢いのように、陣形維持は山のように堅固に、といった内容。

「とき」は、「速い・早い」を意味する古語「疾し(とし)」の活用形。「疾(はや)きこと」と読まれる場合もある。

卒業ソング『仰げば尊し』の歌詞にある「思えば いととし」の「とし」も同じ意味。

歌詞の意味

写真:武田神社 拝殿(2014年撮影/出典:Wikipedia)

その他の『武田節』の歌詞について、部分的に意味を補足してみたい。

妻子(つまこ)につつが あらざるや

「つつが あらざるや」とは、「病気などの災難・患い」を意味する古語「つつが」と、存在の動詞「あり」の未然形、打消の助動詞「ず」の連体形「ざる」に、詠嘆の間投助詞「や」が続いている。

全体で「妻や子供は平穏無事か?」といった意味になる。

祖霊(それい) まします

「祖霊」は祖先の霊、「まします」は存在の動詞「あり」の尊敬語。「いらっしゃいます、おいでになる」の意味。

つつじケ崎の 月さやか

「つつじケ崎」は、武田信玄の本拠地であった山梨県甲府市の居館「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」のこと。跡地には現在、武田神社が建立されている。

「月さやか」とは、月がくっきりと澄んで(明るく)見える様を意味する。

雲と興(おこ)れや 武田武士

「雲と興(おこ)れや」とは、「雲が湧き上がるように勢い盛んに興隆せよ」という意味。勢いが盛んになることを意味する動詞「興る(おこる)」の命令形に、詠嘆の間投助詞「や」が続いている。

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