小諸馬子唄 こもろまごうた 長野県民謡
実は昭和初期に作曲された新民謡だった?原曲は『小室節』?
「小諸出てみよ 浅間の山に 今朝も煙が 三筋立つ」の歌い出しで知られる『小諸馬子唄(こもろまごうた)』は、山道で馬に人や荷物を乗せて運ぶ馬追い(馬子)の唄とされる長野県民謡。『小室節(こむろぶし)』とは別の唄(詳細は後述)。
小諸は島崎藤村「小諸なる古城のほとり」でも取り上げられ、北関東と信濃国と結ぶ北国街道の宿場町・商都として栄えた町。
写真:小諸の馬子衆が行交った旧碓氷峠(うすいとうげ)出典:Wikipedia
ちなみに、馬追い(馬子)らが唄ったとされる馬子唄(まごうた)としては、「越すに越されぬ大井川」の文句で知られる『箱根馬子唄』も有名。
【YouTube】 三橋美智也 小諸馬子唄
【YouTube】小諸馬子唄 伊藤満
『小諸馬子唄』の歌詞(一例)
小諸出てみよ 浅間の山に
今朝も煙が 三筋立つ
黒(あお)よ泣くなよ もう家ゃ近い
森の中から 灯が見える
浅間根越(ねごし)の 焼け野の中に
あやめ咲くとは しおらしや
<写真:浅間山と鬼押し出し(溶岩流の跡)出典:Wikipedia>
小室節との関係について
さて、『小諸馬子唄』と似た歌詞で唄われる別の曲『小室節(こむろぶし)』という民謡があるが、どうやら『小諸馬子唄』は、この『小室節』を原曲として昭和初期に作曲された新民謡であるようだ。文献を次のとおり引用する。
この馬子たちの歌を尺八の大家、後藤桃水氏が聞き、それを弟子の菊池淡水氏に伝え、さらに赤坂小梅女史に教えたものである。そして、昭和12年(1937年)11月、コロンビア・レコードで小梅女史が歌って発売したのがこの小諸馬子唄である。
このように、この小諸馬子唄は、作曲した人がはっきりしているということから厳密にいえば民謡ということにはならない。しかし、信州の馬子唄からヒントを得て生まれたということで、新民謡の類に入れて考えることができよう。
歌詞は、小室節の元歌をそのまま歌っている。
<引用:竹内勉『追分節: 信濃から江差まで』三省堂 1980年>
補足すると、この「小梅女史」とは、昭和時代に活躍した芸者歌手・赤坂小梅のこと。昭和12年(1937年)発売のレコード「浅間の煙」(作詞:西條八十、作曲:古関裕而)の中で、挿入歌のような形で『小諸馬子唄』が組み込まれた。
赤坂小梅が唄った『小諸馬子唄』には、西條八十(さいじょう・やそ)による独自の歌詞が追加されている。
【試聴】赤坂小梅「浅間の煙」1937年
なお、『小室節』は、後に軽井沢の追分宿(おいわけしゅく)で三味線の伴奏が加わり、「追分節」として日本海側の港町へ広まった。北海道民謡『江差追分(えさしおいわけ)』のルーツとも考えられる。
『小室節』の歌詞(一例)
小諸出て見りゃ 浅間の山に
今朝も三筋の 煙立つ
小諸出抜けて 落葉松行けば
松の露やら 涙やら
『小室節』の動画
【試聴】正調小室節/唄:三橋金菁・尺八:飯吉正山
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