めだかの学校 歌詞の意味・由来
そっと のぞいて みてごらん みんなで おゆうぎ しているよ
『めだかの学校』は、作詞:茶木滋、作曲:中田喜直による日本の童謡。1951年(昭和26年)3月、NHKのラジオ番組「幼児の時間」で発表された。
歌詞の誕生には、茶木滋が1946年(昭和21年)に神奈川県小田原市にある荻窪用水(下写真)で息子と交わしたやりとりが大きく関わっているという。
写真:メダカ(出典:Wikipedia)
写真:荻窪用水(神奈川県小田原市)
小田原市に在住していた茶木は、戦中は家族で箱根に疎開して難を逃れていた。しかし、自宅が全焼したために、戦後はバラックのような家に住むことになり、食糧を確保するためにたびたび買い出しに出かけていた。
ある日、買い出しのために、三歳の息子と山を降りて荻窪用水周辺を通りかかると、息子がメダカを見つけた。
息子が大声を上げるとメダカが姿を隠してしまったので、茶木が
「あんまり大声を出すんで逃げてしまったんだよ」
と言うと、息子は
「大丈夫、またくるよ。だってここはメダカの学校だもん」
と答えたという。
写真:神奈川県小田原市荻窪「めだかの学校」記念碑
ただし、上述の誕生物語は、佐藤義美著「どうようものがたり」(実業之日本社)で佐藤義美が創作した架空の物語であり、実際に茶木親子が上述のような会話をしたわけではない。
この誕生物語について、茶木滋本人は次のように述べている。毎日新聞学芸部『歌をたずねて』(音楽之友社)より抜粋。
当時の小田原の田園風景はまことにきれいなものでした。三歳のこども(義夫君)がメダカの学校だと言った、と物語にあるのは、ちょっとできすぎですが、それに似た風景が、私の原体験としてあったのは事実です。
【YouTube】めだかの学校
【YouTube】めだかの学校 ピアノ演奏(ヤマハ)音楽
歌詞と意味
作詞:茶木滋による『めだかの学校』歌詞を次のとおり引用して、その内容を簡単に確認してみよう。
めだかのがっこうは かわのなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎしているよめだかのがっこうの めだかたち
だれがせいとか せんせいか
だれがせいとか せんせいか
みんなで げんきにあそんでるめだかのがっこうは うれしそう
みずにながれて つーいつい
みずにながれて つーいつい
みんながそろって つーいつい
この歌詞では、メダカが群れて泳ぐ姿を学校の生徒たちに例え、まるでお遊戯(おゆうぎ)して遊んでいるようなメダカたちの情景が描かれている。
童謡『雀の学校(すずめのがっこう)』では、先生と生徒がはっきりと分けられて描写されていたが、『めだかの学校』では「だれが生徒か先生か」として、明確な区別を聞き手の想像にゆだねているのが興味深い。
「つーいつい」とは?
全体的に意味が分からない難しい文言はないのだが、一点だけ、三番の歌詞に若干珍しい表現が見られる。
それは、メダカが泳ぐ様子を「つーいつい」という独自の擬態語を用いて表現している点だ。
一般的に、魚が泳ぐ様子を表現する場合の擬態語は、「すいすい」「すーいすい」といった感じになるかと思われるが、『めだかの学校』歌詞では「つーいつい」という特徴的な擬態語が用いられている。
「つーいつい」とは、一体どういう意味合いでつけられた擬態語なのだろうか?
作者による説明がない限り、この点については推測するほかないが、筆者の私見では、つつっとすべるように泳いでいるという意味合いが込められているのではないかと想像している。
つまり、「すーいすい」+「つつっと」で、「つーいつい」という新たな擬態語を生み出したのではないかと推測しているが、皆さんはいかがお考えだろうか?
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