柿の木坂の家 歌詞の意味 場所はどこ?
柿の木坂はどこにある?モデルの場所は広島県明石峠?
『柿の木坂の家』は、1957年(昭和32年)に発表された青木光一の大ヒット曲。作詞:石本美由紀、作曲:船村徹。
柿の木坂は一体どこにあるのだろうか? 一説によれば、広島県大竹市出身の作詞者・石本美由紀との関連で、広島県廿日市(はつかいち)市の明石峠(汐見峠)がモデルの場所とされる。
東京都目黒区には「柿の木坂」という町名があり、柿の木坂一丁目から柿の木坂三丁目まである。
このページでは、『柿の木坂の家』の歌詞の意味・補足、広島県の明石峠(汐見峠)、目黒区の「柿の木坂」について、簡単に解説してみたい。
【YouTube】柿の木坂の家 青木光一
歌詞の意味
作詞:石本美由紀による『柿の木坂の家』の歌詞を次のとおり引用して、簡単に意味を補足してみたい。
春には 柿の花が咲き
秋には 柿の実が熟(う)れる
柿の木坂は 駅まで三里(さんり)
思い出すなァ ふる里のョ
乗合(のりあい)バスの 悲しい別れ春には 青いめじろ追い
秋には 赤いとんぼとり
柿の木坂で 遊んだ昔
懐しいなァ しみじみとョ
こころに返る 幼い夢が春くりゃ 偲(しの)ぶ馬の市
秋くりゃ 恋し村祭り
柿の木坂の あの娘(こ)の家よ
逢ってみたいなァ 今もなおョ
機織(はたお)りながら 暮していてか
柿の木坂は 駅まで三里
柿の木坂のモデルが広島県廿日市市の明石峠と仮定すれば、「駅」とは当時の国鉄・山陽本線の廿日市駅(の可能性がある)。一里(いちり)は約4㎞。三里は約12km。
乗合バス
路線バスのこと。1964年の東京オリンピック後に自家用車が普及し始めるまで、路線バスは日常生活における交通手段として大きな地位を占めていた。
青いめじろ
ここでの「青」は、空や海のような青ではなく、青りんごや青汁のように緑色を表している。メジロは顔の周辺と背中が明るい緑色。
馬の市
広島は江戸時代から馬の売買が盛んで、新潟県柏崎市椎谷、奥州の白河と並ぶ「日本三大馬市」の一つとして栄えた。
明石峠(汐見峠)
『柿の木坂の家』のモデルとされる明石峠(汐見峠)は、広島県廿日市市の市街から県道30号(津和野街道)を山沿いに登って行った峠。現在では峠の付近に柿の木はないようだ。
埋め込み地図:明石峠(広島県廿日市市)グーグルマップ提供
目黒区の柿の木坂とは?
柿の木坂(かきのきざか)は、東京都目黒区の町名としても有名。目黒通りの坂で、柿ノ木坂、柿木坂とも表記される。
埋め込み地図:柿の木坂通り(東京都目黒区)グーグルマップ提供
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