キューバ国歌
キューバ共和国/Republic of Cuba
キューバ国歌『La Bayamesa バヤモの歌』は、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』に強い影響を受けて1867年に作曲された。
1868年の第一次キューバ独立戦争で歌われ、以来国歌として定着している。歌詞は6番まで存在するが、実際の国歌としては2番までしか歌われない。
写真:キューバの世界遺産「シエンフエーゴスの都市歴史地区」
キューバ国歌が作曲された1867年当時のキューバは、スペインによる植民地支配から脱するための独立運動が本格化し始めていた。
当初は、アメリカ合衆国への編入・併合を求める運動を中心に闘争が展開されたが、1877年にスペインがキューバ自治権を認めると、キューバ独立運動は不完全燃焼のまま沈静化してしまった。
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歌詞の意味・和訳
¡Al combate, corred, Bayameses!,
Que la patria os contempla orgullosa;
No temáis una muerte gloriosa,
Que morir por la patria es vivir.
戦いへ急げ バヤモの民よ
汝らは祖国の誇り
名誉ある死を恐れるな
祖国のための死は
すなわち生きることなり
En cadenas vivir es vivir
en afrenta y oprobio sumido,
Del clarín escuchad el sonido;
¡A las armas, valientes, corred!
隷属の下で生きるは
すなわち死ぬことなり
不名誉と恥辱の中で
戦いのラッパが鳴り響くを聞け
武器を取れ!勇敢なる者たちよ、急げ!
アメリカ介入 戦艦メイン号が謎の爆発
キューバ独立運動が再び激化するのは1890年代。キューバ独立軍は宗主国スペインを相手に死闘を繰り広げ、1898年には国土の半分以上を解放することに成功。このまま進めば全土解放も時間の問題だった。
ところが同年2月15日、キューバの首都ハバナに停泊していたアメリカ戦艦メイン号が謎の爆発を起こし、266名の乗員が死亡するというショッキングな事故が発生した。原因は今日に至っても未だ不明。
挿絵:1900年のアメリカ選挙ポスター。中央左は第25代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリー、中央右は当時副大統領のセオドア・ルーズベルト。
米西戦争勃発 フィリピン・グアムも奪取
アメリカ新聞各社は「Remember the Maine リメンバー・ザ・メイン」と扇情的なスローガンで国民世論を対スペイン開戦へ煽り立てると、1898年4月25日、アメリカはスペインとの交戦状態に入った。いわゆる米西キューバ戦争の勃発である。
アメリカ陸軍・海軍は7月にはキューバ全域を制圧し、スペイン艦隊を壊滅させると、スペインの支配下にあったフィリピン、グアムも占領した。さらに同年(1898年)にはハワイ王国を滅ぼしアメリカの準州として併合すると、オアフ島のパールハーバー(真珠湾)に海軍基地を建設した。
キューバは事実上アメリカの保護国となり、グァンタナモ湾は1903年以降アメリカが永久租借の上でグァンタナモ米軍基地(海軍基地)が建設された。2002年からは同基地はアフガニスタンやイラク関連の収容所としても機能している。
「坂の上の雲」秋山真之も観戦
NHKドラマ「坂の上の雲」で本木雅弘が演じた大日本帝国海軍中将、秋山 真之(あきやま さねゆき)は、米西戦争が起きた1898年当時アメリカに留学しており、アメリカ海軍が展開したキューバのサンチャゴ港閉塞作戦を観戦武官として視察していた。
秋山真之による視察の結果は報告書にまとめられ、後の日露戦争における旅順港閉塞作戦に活かされたとの指摘もあるようだ。
なお、陸軍では後の陸軍大将、柴 五郎(しば ごろう)も陸上戦の観戦武官として派遣されていた。
親日家のフィデル・カストロ
1959年のキューバ革命でアメリカ傀儡政権を打倒したキューバ最高指導者フィデル・カストロ。
1976年より2008年まで国家元首を務めたカストロ氏は親日家として知られ、1989年の昭和天皇崩御の際には喪に服したほか、2003年には来日して原爆ドームを訪れた。
原爆ドームの慰霊碑に献花を行ったカストロ氏は、黙祷して「人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある」と発言し、犠牲となった人々への哀悼の意を表している。
なお右ジャケットは、オリバー・ストーン監督が自らカストロ議長にインタビューした2003年公開のドキュメンタリー映画「コマンダンテ」。一見の価値あり。
チェ・ゲバラも広島を訪問
広島へはキューバの革命家チェ・ゲバラも1959年に来訪しており、慰霊碑に献花し原爆資料館と原爆病院を訪れた。
来日中、ゲバラは日本の新聞記者に対して「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」と質問したという。
ゲバラは帰国後、広島での見聞をキューバに伝え、以来同国では広島・長崎の悲劇が現在でも初等教育で取り上げられている。
世界中に影響を与えたキューバ音楽
キューバでは古くから独自の音楽的文化が根付いており、個性的なリズムを持った民族音楽は幾度となくヨーロッパやアメリカの音楽文化に影響を与えた。
古くはキューバの民俗舞曲「ハバネラ habanera」がスペインを通じて19世紀のヨーロッパに広まった。
影響を受けた有名な楽曲としては、ビゼー歌劇「カルメン」で主人公カルメンが歌う『ハバネラ(恋は野の鳥)』、ラヴェル『スペイン狂詩曲』第3曲、イラディエル『ラ・パロマ La Paloma』などがある。なおハバネラはフラメンコと融合し、アルゼンチンへ渡ってタンゴのルーツとなった。
1930年代のアメリカにはキューバからルンバやソンが広まり、1940年から50年代にかけてキューバ出身のペレス・プラードによりマンボが世界中で熱狂的な注目を集めた。
1990年代以降は、ロス・バン・バンなどの音楽グループが次々に現れ、1998年にはキューバに実在する音楽家・演奏家を取り上げた音楽ドキュメンタリー映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ Buena Vista Social Club」が世界的なヒットを飛ばし、キューバ音楽に世界中から注目が集まった。
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