アメリカ独立記念日50周年に生まれた
スティーブン・フォスター

19世紀アメリカ民謡の父 フォスター特集

1826年7月4日、ちょうどアメリカ独立記念日の50周年目にあたる記念すべき日に、スティーブン・コリンズ・フォスターは生まれた。

アメリカ独立記念日のパレードと子供達(出典:picsymag.com)

父親は、地元ピッツバーグで有名な実業家であった父ウィリアム・バークレー・フォスター(William Barclay Foster, Sr)。母親は、エライザ・クレイランド・トムリンソン(Eliza Clayland Tomlinson Foster)。

二人の9番目の子供だったスティーブンは、年の離れたたくさんの兄・姉に囲まれながら、小さな頃からピアノやギターの基礎をお姉さんに教わり、着々と音楽の才能を伸ばしていった。

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1839年 処女作品「ティオガ・ワルツ」

13歳(1839年)になると、スティーブンは兄ウィリアムJr(William.B.Jr)のすすめでペンシルヴェニア州のアセンズ学校(Athens Academy)に入学。退屈な授業に休みがちになりながらも、近くの街で働いていた兄に見守られながらなんとか学校に通い続けていた。

このアセンズ学校に在学中、スティーブンの処女作となる『ティオガ・ワルツ(Tioga Waltz)』が作曲された。「ティオガ(Tioga)」とは、アセンズの古い地名で、「川が合流する場所」という意味。フルートが得意だったということもあってか、この『ティオガ・ワルツ(Tioga Waltz)』は、フルートのために作曲された曲となっている。

二人の姉から受けた音楽への情熱とヘンリー・クレーバー先生

スティーブンは、小さな頃から姉ヘンリエッタによってフルート・ピアノ・ギターなどの様々な音楽的教養を受けていた。10代の頃には、ドイツのダルムシュタットからの移民ヘンリー・クレーバー(Henry Kleber)から本格的な音楽教育を受けていたという。

アーサー王と円卓の騎士

ヘンリー・クレーバーは、ピッツバーグ市にある女学校の音楽教師で、同市で楽器店も経営していた。当時のピッツバーグで最も音楽に長けた人物として知られており、彼自身が設立した吹奏楽団の指導者として活動していた。

男声コーラスグループ ~角卓の騎士達~

スティーブンは、友人らと『角卓の騎士達(Knights of the S.T.)』という男性コーラスグループを結成していた。

グループ名の「角卓の騎士達」とは、中世の伝説上の人物「アーサー王」をめぐる「円卓の騎士達」をもじったもの。

「角卓の騎士達」では、週に2回はスティーブンの家に集まって、当時流行していた曲を歌ったり、街へ出てお屋敷の下でセレナードを弾く(今の路上ライブ?)などの活動を行っていたようだ。

メンバーには、彼の兄であるモリソン(Morrison)や、大親友のチャールズ・シラス(Charles Shiras)も名を連ねていたという。

この「角卓の騎士達」で歌われていた曲の中には、スティーブンの自作した曲も多く含まれている。例えば、『ルイジアナの美人(The Lou'siana' belle)』、『ネッド伯父さん(Old uncle Ned)』、『おお、スザンナ!(Oh! Susanna)』などの曲は、この頃既に作曲されていたもので、後にスティーブンが有名になってから出版社の引き合いを受けて出版されている。

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