たくさんの兄・姉に囲まれて育った
末っ子のスティーブン
19世紀アメリカ民謡の父 フォスター特集
スティーブンは、フォスター家の第9番目の子供として生まれた。3年後には弟も生まれるが翌年には病死。結局スティーブンは、フォスター家の兄弟の末っ子として、7人ものお兄さんお姉さんに可愛がられて育つことになる。
写真:ペンシルベニア州ピッツバーグにあるスティーブン・フォスター記念館
ちなみに、一番上のウィリアム・B・フォスターJr.は、スティーブンの父親の連れ子。フォスター家で1814年に生まれ、その翌年に亡くなった同名の子供の名前を受け継いでいる。
スティーブンが生まれた時点(1826年7月)での兄弟構成は次のとおり。
- 長男:ウィリアム・B・フォスターJr.17歳
- 長女:シャルロット・スザンナ・フォスター 17歳
- 次女:アン・エライザ・フォスター 17歳
- 次男:ヘンリー・ボードゥアン・フォスター 10歳
- 三女:ヘンリエッタ・フォスター 8歳
- 三男:ダニング・フォスター 5歳
- 四男:モリソン・フォスター 3歳
音楽を教えた姉達や協力的だった兄達
両親はあまりスティーブンの音楽的才能に関心がなかったようだが、スティーブンの兄弟達は早くからスティーブンの音楽活動に協力的だったそうだ。
特にシャルロットやヘンリエッタはピアノやハープ・ギター等が得意で、彼女等の存在によってスティーブンは幼い頃からギターやピアノの基本的な技術を身につけることができた。兄のモリソンとは、近所の子供達とコーラス・グループを結成するなど、一緒になって音楽活動をしていたようだ。
二十歳前後の時には、兄ダニングの経営する商店で働かせてもらったり、ウィリアム・バークレー・フォスターJrには音楽学校の費用を出してもらったりと、スティーブンが音楽活動を続けていくにあたり、協力的な兄・姉の存在は必要不可欠なものだった。
特にスティーブンの父親の財政状態が悪化したときには、当時エンジニアとして成功を収めていたウィリアム・バークレー・フォスターJr がフォスター家の生活を影で支えており、彼の存在はフォスター家にとって精神的にも経済的にも非常に重要であったといえる。
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