スコット・ジョプリンの生い立ち

ラグタイム王スコット・ジョプリン(Scott Joplin/1868-1917)

ジョプリン:ラグタイム・ピアノ

アメリカ南北戦争が終結して間もない1868年、テキサス州リンデンの近くで、アフリカ系農夫の父ジャイルと母フロレンスの次男として生れた。

生活費を削ってピアノを買い与えた母

早くから音楽的才能が現れ、バンジョーを上手くこなした。両親は彼の才能を伸ばすことに力を惜しまず、特に母は生活費を削ってまで息子にピアノを買い与えたという。

8歳ごろから音楽を習い始め、10代でダンス音楽の演奏家となる。14歳(1882年頃)には親元から離れ、ミシシッピー河流域のサロンの1つメープル・リーフ・サロンで演奏を始める。20代はセントルイス、シカゴ、ミズーリのサロンや広場などで演奏をしてまわった。

新たな音楽を目指しジョージ・R・スミス大学へ

1895年(27歳)には、クラシック音楽のピアニスト・作曲家を目指し、黒人のためのジョージ・R・スミス大学で学ぶ。

ジョプリンは、ヨーロッパのクラシック音楽とアフリカ系アメリカ人のハーモニーとリズムを結びつける音楽を追求していた。これは後日、音楽ジャンル「ラグ」として認知されるようになる。

1899年(31歳)頃を境に、ジョプリンの新たな音楽ジャンル「ラグタイム」作品が次々と生まれる。1900年(32歳)には今日でも有名な『メープル・リーフ・ラグ(Maple Leaf Rag)』が出版され、大成功を収める。

その後もラグタイムやオペラなどの作曲を続けたジョプリンだったが、1917年1月、梅毒により精神・肉体に異常をきたし、ブルックリンの病院に入院。晩年は認知症に苦しめられ、入退院を繰り返していたという。同年4月にこの世を去っている。享年48歳。

スコット・ジョプリンの代表作

エンターテイナー The Entertainer
スコット・ジョプリンによる1902年(34歳)の作品。「エンターティナー」との表記も。1973年のアメリカ映画「スティング (The Sting)」のテーマソング。
イージーウィナーズ The Easy Winners
スコット・ジョプリンによる1901年(33歳)の作品。テレビCMなどでも使用された。
メープルリーフ・ラグ Maple Leaf Rag
スコット・ジョプリンによる1899年(31歳)の作品。メープル・リーフとは「かえでの葉」のこと。ミシシッピー河流域のメープル・リーフ・サロンから取られたとも。