お内裏様 お雛様 左右どっち?

雛段飾りで一段目の内裏雛は左右どっちに置く?

3月3日の雛祭り(ひなまつり)において、雛段飾りの一段目に置かれる男雛・女雛の一対のひな人形「内裏雛(だいりびな)」。

童謡『うれしいひなまつり』二番の歌詞でも、「お内裏様と おひな様 二人ならんで すまし顔」と歌われている。

「お内裏様(おだいりさま)」とは、 天皇や内裏(だいり)に住む人を敬っていう言葉。内裏雛は天皇皇后両陛下をモチーフとしている。

内裏(だいり)とは?

内裏(だいり)とは、天皇陛下の住む御殿などがある皇居を意味しており、平安京には南北約300m、東西約200mの内裏が存在していた。

紫宸殿(ししんでん)右近の橘 左近の桜

内裏の南側には、天皇の政務所である「紫宸殿(ししんでん)」や、日常の居所となる「清涼殿(せいりょうでん)」などがあった。

写真は、京都御所の紫宸殿。左は右近の橘、右は左近の桜(出典:Wikipedia)

その後、平安京の内裏は火災に度々見舞われ、現在の京都御所(きょうとごしょ)へ内裏が移された。

明治以前は男雛が左(向かって右)

明治以前の日本では位の高い人が左側(向かって右側)に座る慣習だったため、内裏雛(だいりびな)の置き方についてもそれにならっていた。

ひな人形には大きく分けて、京都で作られる京雛と、関東で作られる関東雛があるが、京雛は現在でも明治以前の慣習に従い、お殿様(男雛)が左(向かって右側)に座っている。

写真:京雛 リュウコドウ ちりめん ふっくら ひな人形

これに対して、関東雛は右側(向かって左側)に配置される。これは明治維新後の西欧化が影響している。

明治維新後の西洋化で右が上位に(向かって左)

明治維新後、欧米列強の文化を積極的に取り入れていた明治政府は、国際儀礼である「右が上位」(向かって左側)の様式も採用した。

例えばキリスト教の教会における結婚式で、必ず男性が右側に来るのも、こうした西洋の国際儀礼の現れである。

特に、大正天皇が「結婚の儀」で皇后の右側に立たれた事から、皇居のある関東において、「右が上位」(向かって左側)の風習が一気に広まったと考えられている。

関東雛でお殿様(男雛)が右側(向かって左側)に配置されるのは、明治以降に皇居が移った関東におけるこうした西洋化の影響が大きな理由となっている。

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