高い山から谷底見れば 歌詞の意味・由来

瓜や茄子の花盛り ルーツは江戸時代の「お万可愛や布晒す」

「高い山から谷底見れば」は、日本各地の民謡・俗謡・盆踊り歌・祝い唄などで使われる定番の歌詞・フレーズ。

この後に続く歌詞はいくつかバリエーションがあるが、おそらく今日最も有名な組み合わせとしては、「高い山から谷底見れば 瓜や茄子の花盛り♪」が挙げられる。

徳島県を流れる祖谷川

写真:徳島県を流れる祖谷川(出典:Re:Start!)

この「高い山から谷底見れば 瓜や茄子の花盛り」については、特に深い意味はなく、純粋に目出度さや華やかさを表現したフレーズとして歌えばよいだろう。

江戸時代の原曲・元歌とは?

さて、この「高い山から谷底見れば」については、江戸時代の寛文年間(1661-1673)に流行した俗謡『源五兵衛節(げんごべえぶし)』が原曲・元歌の可能性がある。

高い山から谷底見れば お万可愛や布晒す

<江戸時代の俗謡『源五兵衛節』の一節>

「源五兵衛」と「お万」とは一体誰なのか?「布晒す」の意味は?簡単にまとめてみた。

お万と源五兵衛

江戸時代の寛文年間(1661-1673)、薩摩の侍・源五兵衛(げんごべえ)と若い娘・お万(おまん/小万)との情話に基づく俗謡・歌謡『源五兵衛節(げんごべえぶし)』が大流行した。

上述の「高い山から谷底見れば お万可愛や布晒す」は元歌・原歌であり、ここから様々なバリエーションの歌詞が生まれ、歌われていたようだ。

挿絵:恋合端唄尽「小万・源五兵衛」(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

これに目を付けたのが、江戸時代の俳諧師・井原 西鶴(いはら さいかく/1642-1693)。西鶴は、1686年(貞享3年)に発刊したオムニバス形式の浮世草子『好色五人女』(こうしょくごにんおんな)の中で、お万と源五兵衛という男女を登場させた「恋の山源五兵衛物語」を書いている(ただしフィクション)。

また、江戸時代の浄瑠璃作家・近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん/1653-1725〉も、お万と源五兵衛というキャラクターを用いた浄瑠璃「おまん源五兵衛薩摩歌」を書き上げている。

「お万可愛や布晒す」の意味

『源五兵衛節(げんごべえぶし)』の元歌・原歌は、具体的にどんな場面を表現した歌なのだろうか?

高い山から谷底見れば お万可愛や布晒す

<江戸時代の俗謡『源五兵衛節』の一節>

「布晒す」とはおそらく、反物を染める際の工程で、糊や余分な染料を落とすために川で反物を水洗いしている様子を表していると解釈できる。

桐生の友禅流し

写真:桐生の友禅流し(出典:ブログ「赤城山が好き」)

つまり「高い山から谷底見れば お万可愛や布晒す」の歌詞は、谷底の川で染物を洗っている可愛いお万の姿を、源五兵衛が高い山から見下ろして眺めている場面を表していると考えられる。

染物上手な若い娘「おまん」

ちなみに、染物上手な若い娘「おまん」に関する民話・伝説が長野県小布施町(おぶせまち)に残されており、小布施町を訪れていた江戸時代の俳人・小林一茶(こばやし いっさ/1763-1828)は、「おまん」について次のような俳句を残している。

春の風 おまんが布のなりに吹(ふく)

<小林一茶>

小布施町の岩松院近くには、おまんが布を洗っていたとされる「おまんが池」跡が残されており、この小林一茶の句碑が建立されている。

小林一茶の俳句にある「おまん」と、『源五兵衛節』の「お万」が同一人物かどうかは定かではないが、どちらも染物関連でのつながりがあるのが大変興味深い。

ちなみに小布施町の岩松院は、小林一茶が「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」と詠んだことで知られている。

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