ひえつき節 歌詞の意味 宮崎県民謡

那須の大八  鶴富おいて 椎葉たつ時ゃ 目に涙

「庭の山椒(さんしゅう)の木 鳴る鈴かけて」が歌いだしの『ひえつき節』は、宮崎県の東臼杵郡・椎葉村(しいばそん)に伝わる宮崎県民謡。

椎葉村には平家の落人(おちうど)伝説が残されており、『ひえつき節』の歌詞にも、那須(なす)大八郎と鶴富(つるとみ)姫とのロマンスが盛り込まれている。

元々は、稗(ひえ)を臼(うす)に入れ杵(きね)でつくときに歌った作業歌で、今日知られている『ひえつき節』の歌詞やメロディとは異なる素朴な労働歌だった。

写真:宮崎神宮大祭(御神幸祭)椎葉平家祭り(出典:Wikipedia)

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歌詞:『ひえつき節』(一例)

庭の山椒(さんしゅう)の木
鳴る鈴かけてヨーホイ
鈴の鳴る時ゃ
出ておじゃれヨー

鈴の鳴る時ゃ
何と言うて出ましょヨーホイ
駒に水くりょと
言うて出ましょヨー

那須の大八
鶴富おいてヨーホイ
椎葉たつ時ゃ
目に涙ヨー

平家の落人伝説

『ひえつき節』の歌詞と関連する、椎葉村の平家落人伝説について簡単にまとめると次のとおり。

平安末期1185年の壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、一部の平氏残党が日向国椎葉へ逃れた。

源頼朝の命を受け、那須与一の弟・宗久(むねひさ)、通称:大八郎は、椎葉村へ平氏残党の追討に向かった。

しかしそこでは、平氏残党は既に戦意を喪失し、実直に農耕に勤しむ農夫となって、素朴ながらも村での新たな暮らしを築いていた。

自然豊かな椎葉村で農業に励む落人(おちうど)たちの健気な姿に心を打たれた大八郎は、幕府には討伐を果たした旨のウソの報告を行い彼らを助け、自分自身もこの椎葉村に留まる決意をした。

大八郎は椎葉村で屋敷を構え、彼らに惜しみなく農耕技術を伝えた。さらに、平家の守り神である厳島神社を勧請するなどして落人達を慰めたという。

落人達との交流を深めていくうちに、大八郎は平清盛の末孫とされる鶴富(つるとみ)姫と恋に落ち、逢瀬を重ねた。

何年か経った後、大八郎は鎌倉より帰還命令を受けた。その時、鶴富姫は大八郎の子を身ごもっていた。

大八郎は「男の子なら連れてこい、女の子ならここで育てよ」と太刀と系図を与え、鎌倉へ帰っていった。その後、鶴富は女子を生んだ。成人後は婿を取り、その婿が那須下野守を名乗って椎葉を治めたという

歌詞の意味

一番と二番の歌詞では、鶴富姫と那須大八郎が逢い引き(あいびき)する際の秘密の合図が描写されている。

まず、鶴富姫の家の前にやって来た那須大八郎は、家の庭にある山椒の木に鈴をかけて鳴らし、自分が来たことを鶴富姫に知らせる。

その鈴の音を聞いた鶴富姫は、「ちょっと馬に水をやってきますね」とウソをついて外へ出て、那須大八郎と落ち合うという手筈だ。

「ヨーホイ」「ヨー」は歌の調子を整えるための意味のない囃子詞(はやしことば)。

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