越すに越されぬ大井川 箱根馬子唄

徳川家康が隠居していた駿府城の西を守る大井川の難所

箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の歌いだしで有名な『箱根馬子唄』(はこね まごうた)は、神奈川県箱根峠の馬子らが歌った民謡・馬子歌。

大井川はかつて徳川家康が隠居していた駿府城の西の守りとして機能しており、橋を架けることはもちろん渡し船も禁止されていた(詳細は後述)。

大井川と富士山

写真:大井川と富士山(出典:Webサイト「富士山のページ」)

馬子(まご)とは、荷物や人を馬で運ぶ職業で、馬追い、馬方(うまかた)、馬曳(うまひ)きなどとも呼ばれた。

馬子のような身分の低い人でも、羽織や袴などの衣装を着れば立派に見えるという意味のことわざ「馬子にも衣装」(まごにもいしょう)は有名。

【試聴】 箱根馬子唄

歌詞の一例

箱根八里は 馬でも越すが
越すに越されぬ 大井川

箱根御番所に 矢倉沢なけりゃ
連れて逃げましょ お江戸まで

三島照る照る 小田原曇る
間(あい)の関所は 雨が降る

箱根八里とは?

箱根八里(はこねはちり)とは、東海道五十三次の宿場の一つ小田原宿から箱根峠を越えて三島宿まで約八里の道のりを指す。一里は約4㎞。峠を越えるための馬子や駕篭が活躍した。

明治時代の作曲家・瀧 廉太郎の代表曲『箱根八里』も同じ箱根路を題材としている。

2番の歌詞の「矢倉沢(やぐらざわ)」とは関所の名前。箱根御番所は箱根の関所。3番の歌詞の「間の関所」も箱根の関所を指している。

大井川と川越(かわごし)

上述のとおり、大井川は江戸時代、江戸や駿府城への敵の進軍を困難にする西の守りとして機能しており、橋はおろか渡し船さえ厳禁とされていた。

その代わりに、人の肩車や輿(こし)に乗せて渡河させる川越(かわごし)制度が設けられ、川会所(かわかいしょ)で川越銭を払い、大井川を渡った。

富嶽三十六景「東海道 金谷の不二」

挿絵:富嶽三十六景「東海道 金谷の不二」(出典:Wikipedia)

川会所は島田と金谷に設置され、それぞれ大井川を渡河する拠点の宿場町となった。

洪水の際には川留め(通行禁止)となったため、島田宿と金谷宿、その周辺の宿は大変賑わったという。

この川越(かわごし)制度については、江戸や駿府城防衛という理由の他に、こうした川越銭や宿賃などの莫大な利益が目的の一つだったとも考えられているようだ。

明治時代に蓬莱橋が完成

明治時代に入ると、江戸時代の川越制度は廃止され、各所に橋が架けられるようになった。

蓬莱橋 ほうらいばし

そのうち特に著名なのが、1879年(明治12年)に架橋された「蓬莱橋(ほうらいばし)」(上写真/出典:Wikipedia)。

蓬莱橋は、木造歩道橋としては世界一の長さを誇り、ギネスブックにも掲載されている。現在でもこの記録は破られていない。

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