古城 歌詞の意味 三橋美智也

松風さわぐ 丘の上 古城よ独り 何偲ぶ

「松風さわぐ 丘の上」が歌い出しの『古城』(こじょう)は、三橋美智也による1959年リリースの歌謡曲。作詞:高橋掬太郎、作曲:細川潤一。

約300万枚を売り上げた三橋美智也最大のヒット曲で、同年のNHK紅白歌合戦にも出場を果たしている。

松本城

写真:松本城(長野県/出典:Wikipedia)

荒れた城跡を題材とした歌(詩)は、この『古城』の他にも、瀧 廉太郎『荒城の月(こうじょうのつき)』や、島崎藤村『小諸なる古城のほとり』などが有名。

このページでは、瀧 廉太郎『荒城の月』と『古城』の歌詞を比較しながら、歌詞の意味について若干補足して解説してみたい。

なお、石川県の七尾城址(ななおじょうし)には『古城』の歌碑が設置されているが、同曲は特定の城がモデルとなっているわけではないようだ。

ただ、一説には江戸城本丸跡から影響を受けている可能性もあるという(詳細は後述)。

【YouTube】古城/三橋美智也

一番の歌詞について

『古城』一番の歌詞を次のとおり引用する。

松風さわぐ 丘の上
古城よ独り 何偲(しの)ぶ
栄華の夢を 胸に追い
ああ 仰げば侘(わ)びし 天守閣

<引用:『古城』一番の歌詞より>

瀧 廉太郎『荒城の月』三番では、「松に歌うは ただ嵐」のように風を受ける松が描写されているが、『古城』でも冒頭で「松風さわぐ」として、松と風の表現を取り入れている。

「松風」は日本の古典文学でよく用いられる表現で、浦寂しい海岸の情景を表す際に使われる。『古城』や『荒城の月』における松と風も、寂しい情景の暗喩だろう。

作詞者は江戸城跡を訪問?

『古城』一番の歌詞にある「仰げば」(高い城を下から仰ぎ見れば)という表現から、この歌詞は実際に古城を訪れている人物の視点から書かれていることが分かる。

長田暁二著「日本の愛唱歌」(出版:ヤマハミュージックメディア)の解説によれば、長田暁二は作詞者の高橋掬太郎と共に、『古城』の作詞を依頼されたその日、江戸城本丸跡を一緒に歩いたという。

写真:江戸城本丸北側の石垣と堀(出典:Wikipedia)

著者は同著の中で、(江戸城本丸跡を歩いた際に)「詩作に関わる何らかのヒントを得られたのに違いない」と見解を述べている。

これが事実であれば、古城を見上げる歌詞の中の人物は、作詞者である高橋掬太郎本人が投影されたものである可能性が高いと言えそうだ。

二番の歌詞について

『古城』二番の歌詞を次のとおり引用する。

崩れしままの 石垣に
哀れをさそう 病葉(わくらば)や
矢弾(やだま)のあとの ここかしこ
ああ 往古(むかし)を語る 大手門

<引用:『古城』二番の歌詞より>

「病葉(わくらば)」とは、大修館書店「明鏡国語辞典」によれば、「病気や害虫にむしばまれて変色した葉。特に、夏の青葉にまじって赤や黄に変色している葉」と解説されている。

江戸城 三ノ丸大手門

写真:江戸城 三ノ丸大手門(出典:Wikipedia)

「往古」とは、通常は「おうこ」の読みで、「過ぎ去った昔、大昔」などを意味する。歌詞では「むかし」と読ませている。「おうこ」と呼んだ場合、直後の歌詞の「大手門」と頭韻を踏むことになる。

往古を「むかし」と読ませることで、直前の「ここかしこ」の「かし」と韻を踏んでいるようにも見える。

冒頭の「崩れ」と「哀れ」も、押韻による詩の響きを意識しているように感じられる。

三番の歌詞について

『古城』三番の歌詞を次のとおり引用する。

甍(いらか)は青く 苔(こけ)むして
古城よ独り 何偲ぶ
たたずみおれば 身にしみて
ああ 空行く雁(かり)の 声悲し

<引用:『古城』三番の歌詞より>

「甍(いらか)」とは、屋根瓦、または瓦葺きの屋根を意味する。童謡・唱歌『こいのぼり』の歌詞にも使われている。

「雁(かり)」は、カモ科ガン亜科の水鳥。「雁の声」は、和歌などで寂しい情景を表現するのによく使われる。瀧 廉太郎『荒城の月』二番の歌詞では、「鳴きゆく雁(かり)の数見せて」として登場する。

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