ジムノペディ 第1番
エリック・サティ(Erik Satie/1866-1925)
『ジムノペディ Gymnopédies』は、フランスの作曲家エリック・サティがパリ音楽院在学中に作曲したピアノ小品(独奏曲)。
曲名は、古代ギリシアのアポロンやバッカスなどの神々を全裸で踊り讃える「ジムノペディア」という祭典に由来している。
第1番から第3番まで3曲あるが、第1番が特に有名で人気が高い。作曲者からそれぞれ次のような指示が残されている。
第1番 ゆっくりと苦しみをもって
Lent et douloureux
第2番 ゆっくりと悲しさをこめて
Lent et triste
第3番 ゆっくりと厳粛に
Lent et grave
ドビュッシーによる管弦楽曲アレンジも
サティの友人であったフランスの作曲家クロード・ドビュッシーは、1897年に『ジムノペディ』第1番と第3番を管弦楽曲に編曲している。
その際、ドビュッシーの何らかの意図により、『ジムノペディ』第1番は第3番として、第3番は第1番として、ナンバリングが入れ替えられている。
【YouTube】ジムノペディ 第1番
ジムノペディストを名乗ったサティ
エリック・サティは20歳過ぎにパリのモンマルトルへ移住している。当時のモンマルトルではキャバレーの元祖「シャノワール(黒猫/Le Chat Noir)」が数年前にオープンしており、パリの若き芸術家達のたまり場として賑わいを見せていた。
パリ音楽院を退学しモンマルトルへ移住したばかりのサティは、まだこれといった功績もなく職業にも就いていなかった。時間を持て余していたサティはシャノワールを訪れ、志高い若き芸術家らと酒を酌み交わし将来の夢を語り合った。
ある日、サティはシャノワール創業者のロドルフ・サリ(Louis Rodolphe Salis/1851–1897)に自己紹介をする機会を得た。サリは辛らつで鋭い発言をする奇抜な経営者・司会者として知られており、挨拶を前にしてサティはあれこれ考えを巡らせた。
「時代の先端を行く気鋭の経営者に挨拶ができる。ここで名前と顔を覚えてもらえれば、ピアノ演奏家として雇ってもらえるかもしれない。だがそれには普通の自己紹介ではダメだ。個性的なサリが一発で興味を持つような、何かインパクトのある肩書きでなければ…」
パリ音楽院で学んだ若きピアニストであったサティだったが、確かに、パリの若いピアニストというだけでは特段インパクトはない。何か他のピアニストと差別化できる肩書きはないか。あれこれ悩んだ挙句、サティは次のような自己アピールをサリにぶつけた。
「私はジムノペディストです。」
上述のとおり、「ジムノペディア」とは古代ギリシアの祭典・舞踏のこと。古代文化のジムノペディアを研究し表現する一風変わったピアニスト(=ジムノペディスト)として自らをアピールしたサティだった。
この発言とつじつまを合わせるように、サティは数ヵ月後の1888年8月、『ジムノペディ 第1番』を発表。サティは半ば勢いで、名実ともに「ジムノペディスト」として自らの存在を世に知らしめたのである。
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楽譜
サラバンド 第1-3番 ジムノペディ 第1-3番 グノシエンヌ 第1-3番 薔薇十字会の最初の思想 第1幕への前奏曲 天職 星たちの息子への三つの前奏曲 第2幕への前奏曲 入信 星たちの息子への三つの前奏曲 第3幕への前奏曲 呪文 星たちの息子への三つの前奏曲 ヴェクサシオン(癪の種) 天国の英雄的な門への前奏曲 きついお叱り 犬のためのぶよぶよした本物の前奏曲 家で独り 犬のためのぶよぶよした本物の前奏曲 お遊び 犬のためのぶよぶよした本物の前奏曲 なまこの乾燥胎児 乾燥胎児) 無柄眼類の乾燥胎児 乾燥胎児 柄眼類の乾燥胎児 乾燥胎児 官能的なソナティネ 始め方 梨の形をした三つの小曲(連弾) 同じものの延長 梨の形をした三つの小曲(連弾) 梨の形をした三つの小曲(連弾) |