16世紀ヨーロッパで流行した
ブロードサイド・バラッドとは?

スカボローフェアの謎 Scarborough Fair

古来、どこの国でも、伝統音楽というものの多くは人から人へ口頭で伝えられていくものでした。「スカボローフェア」が生まれたイングランドでも、ミンストレルと呼ばれる吟遊詩人により口伝えで広められることで、人々はその音楽を知る事ができました。

ちなみに、当サイトのソングブックで紹介している「ミンストレル・ボーイ」の「ミンストレル」はこの吟遊詩人を指します。

この点、15世紀のヨーロッパでは、このミンストレルを絶滅に追いやり、さらに伝統音楽の伝播を急速に加速させた革命的な出来事がおきました。その出来事とは、1455年のヨハン・グーテンベルクによる活版印刷技術の発明です。

活版印刷技術は、当時の宗教、言語、政治、文化の発展に非常に大きな影響をもたらす世紀の大発明で、伝統音楽の伝承にも大きな役割を果たしました。

すなわち、いままで口頭で人から人へ少しずつゆっくりと伝えられてきたものが、紙に印刷された文字という形をとることで、圧倒的に正確にそしてより多くの人の目に触れられることになったのです。

バラッドのメロディや歌詞を印刷したブロードサイド・バラッド

最初に印刷されたものの多くは聖書関連だったようですが、16世紀のヨーロッパでは、当時流行していたバラッドのメロディや歌詞を印刷したものが多く出回っていたようです。

この印刷物こそが、「ブロードサイド・バラッド(Broadside ballads)」もしくは単に「ブロードサイド」と呼ばれているものであり、「スカボローフェア」の原曲もその中のひとつとして記録に残されています。

初期のブロードサイド・バラッドの多くはBlack Letter(ドイツ文字、ひげ文字) を用いて印刷されており、このことからブラックレター・バラッドと呼ばれることもあります。ちなみに、活版印刷以前には手書きのブロードサイドも存在していたようです。

ブロードサイドの多くは四つ折(若しくはそれ以上)にされ、呼び売り本(chapbooks)として、行商人や売店(小さなスタンド)で売られていました。

呼び売り本のバラッドを集めたものは「ガーランド(garland)」と呼ばれ、既に1580年代にリチャード・ジョーンズ(Richard Jones)がそのガーランドを「A Handefull of pleaseant delites」というタイトルで刊行していました。

その中には「グリーンスリーブス」も収録されていたようです。ブロードサイドは19世紀頃までよく広まっていたようですが、新聞や楽譜の登場でその存在意義を失っていきます。

様々なバリエーションで伝えられたスカボローフェア

バラッドの多くはその歌詞や旋律に様々な変化が加えられた数多くのバリアントを持つことがあります。スカボローフェアもその例外ではなく、サイモン&ガーファンクルの「スカボローフェア」の源流と目されるバラッドは記録に残っているものだけでも様々なバリエーションが存在しています。これらのバリエーションを調べていくにあたっては、19世紀後半にある大学教授が纏め上げた偉大なる歴史的編纂物を紐解いていく必要があります。

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スカボローフェアの謎 目次

  1. はじめに
  2. ブロードサイド・バラッドとは?
  3. チャイルド教授の功績
  4. 17世紀の妖精の騎士
  5. 4つのハーブの秘密
  6. マーティン・カーシー
  7. ポール・サイモンとの関係
  8. もう一つのスカボローフェア
  9. 反戦への詠唱

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