復讐の炎に燃えるパンチョ・ビリャ
~ウエルタ許すまじ~

ラ・クカラチャの謎 La Cucaracha

1913年2月ウエルタによるクーデターが起こり、マデロは殺害され、ウエルタが次期大統領に就任します。

当時チワワ州知事をしていたアブラアム・ゴンザレスは、大統領に就任したウエルタへの忠誠を拒否したため、ウエルタによって逮捕され、汽車の車輪でひき殺されてしまいます。

写真:ビクトリアーノ・ウエルタ(Victoriano Huerta/1850-1916)

1913年3月、ビリャはマデロの虐殺に報復するためにメキシコに帰国します。ビリャが心から敬愛していたマデロとゴンザレスは二人とも憎きウエルタの手でなぶり殺されてしまったのです。

しかもそのウエルタは、かつて自分をささいな理由で銃殺しようとした人間なのですから、ウエルタに対する彼の復讐心は並大抵のものではなかったことでしょう。

マデロやゴンザレスといった有力な指導者を欠いたビリャは、今度は自分一人で義勇軍部隊をつくり、育て上げなければなりませんでした。

しかし元から人望も厚くその名はメキシコ中に知れ渡っていた彼のことですから、地方の村や農園を回って瞬く間に義勇兵を集めてしまうのです。

彼は結局、チワワ州北西部の山間部にある小さな町アセンシオンを基地として1913年春から夏にかけて数ヶ月こもり、北メキシコでもっとも強力な革命軍部隊を作り上げていきました。

護憲軍北部師団の誕生 ~次々と集結するビリャ軍~

ビリャは、1913年8月にはアセンシオンを出て南に向かい、各地のウエルタ軍への攻撃を開始します。

数百キロ離れたトレオン攻略のために移動中、各地の首領たちがそれぞれの配下を連れてビリャ軍に続々と加わり、最初数百名ほどだったビリャ軍は数千の兵を擁する大軍に膨れ上がっていたのです。

トレオン市を目前にしたナサス河畔のある大農園の館に宿営したとき、彼ら首領たちは合同作戦会議を開きます。

会議に出席した首領たちは、それまで各地でバラバラに政府 軍とゲリラ戦を展開していた雑多な武装集団の長たちでしたが、これをひとつに統合して、司令官をフランシスコ・ビリャ(パンチョ・ビリヤ)とする「護憲軍北部師団」を結成することに合意したのです。この北部師団がいわゆる「ビリャ軍」と呼ばれる軍隊となっていくわけです。

さて、「ビリャ軍」が形成されるまでを駆け足で見ていきましたが、大体流れはつかめたでしょうか?

流れが分からなくても特に問題はありませんが、このへんの歴史的事実に興味があるかたは、後述の参考文献のリストの中にある「メキシコ革命物語」(渡辺建夫著)を読んでみることをオススメします。図書館にもあると思います。

次は、この「ビリャ軍」と「ラ・クカラチャ」との関係について見ていきます。

【次のページ】 6.ラクカラチャとの関係

ラ・クカラチャの謎 目次

  1. 原曲の歌詞
  2. パンチョ・ビリャはどんな人?
  3. パンチョ・ビリャの生い立ち
  4. メキシコ革命とビリャ
  5. 復讐に燃えるビリャ
  6. ラクカラチャとの関係
  7. 残された謎
  8. パンチョ・ビリャの最期

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