パンチョ・ビリャの生い立ち
絶大な支持を集めたメキシコの英雄

ラ・クカラチャの謎 La Cucaracha

パンチョ・ビリャが生まれたのは、ディアス政権誕生の翌年1878年6月5日でした。場所は、メキシコ北部のドゥランゴ州のサン・ファン・ゲル・リオの大農園(アシェンダ)で、彼の父は、アシェンダで働く小作農でした。

ビリャが生まれたときに役所に届けられた名前は「ドロテオ・アランゴ」というそうで、フランシスコ・ビリャという名は、彼が成人後に自分で名乗ったものであるとのことです(後述)。

当時のメキシコ農民の99パーセントは自分の土地をまったく所有しておらず、人口1%以下の家族が全メキシコの85%もの土地を所有し、大農園という形で大規模な農業経営を行い、その地方の政治・経済をほしいままに支配していました。

彼の父は彼が幼い時に亡くなっており、長男であったビリャは、大農園で働き、母・二人の妹・二人の弟とともに、貧しいながらもなんとか懸命に一家を支えていました。

彼は16歳のとき、農園主と衝突して山へ逃げ込みます。彼はその地域の山賊などに加わり、家畜泥棒などをして生き延びていきます。ちなみに、稼いだ金は母親のもとに送り届けていたそうです。

一時期、ビリャはドゥランゴ州を荒らしまわっていた山賊の一味に加わっていましたが、警官隊との撃ち合いで一味の領主が死ぬと、ビリャはそれまでのドロテオ・アランゴの名を捨て、死んだ首領の名「フランシスコ・ビリャ」を名乗るようになります(ちなみに「パンチョ」とは「フランシスコ」の愛称)。

 彼は山賊の名を継ぐことで山賊の首領となったのですが、単に偶然に名前を継いだだけではなく、彼には山賊の首領となるべき貫禄が、つまり人を惹きつけ統率する力があったようです。体も大きく、身長が180センチ、体重が90キロ近くあり、メキシコ人の平均からするとかなり大柄でした。

メキシコでは、山賊と泥棒はまったく違うものとされており(山賊は金持ちからだけ奪い、奪った金をときには貧しい者に分け与える義賊)、20代を通じて山賊としての名を高めていくにつれ、ビリャの名は土地の貧しいインディオ・農民にとって伝説的な響きをもつまでになっていきました。

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ラ・クカラチャの謎 目次

  1. 原曲の歌詞
  2. パンチョ・ビリャはどんな人?
  3. パンチョ・ビリャの生い立ち
  4. メキシコ革命とビリャ
  5. 復讐に燃えるビリャ
  6. ラクカラチャとの関係
  7. 残された謎
  8. パンチョ・ビリャの最期

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