子守歌(ショパン)

フレデリック・ショパン(Frederic Francois Chopin/1810-1849)

『子守歌 (ショパン) 変ニ長調』Op.57は、フレデリック・ショパンにより1844年に作曲された変奏曲。

4小節の旋律が15回変奏されるシンプルな構成で、同じパターンの和声の伴奏が全曲を通して延々と繰り返される。

同曲は、ショパンお気に入りの生徒であったエリーズ・ガヴァール嬢(Elise Gavard/エリーゼ・カヴァール/エリス・カヴァール)へ献呈されている。

ちなみに、ショパンが1841年に作曲した『ワルツ第12番ヘ短調』Op.70-2もエリーズ・ガヴァール嬢へ献辞が贈られている。

【試聴】子守歌 (ショパン)

ジョルジュ・サンドと子守歌

ショパン『子守歌』が作曲されたのは、マヨルカ島でジョルジュ・サンドと過ごした数年後のこと。健康状態が悪化していたショパンの静養のため、サンドの祖母の家があるフランスのノアン(Nohant)で夏を過ごしていた。

ノアンで過ごした夏はショパンにとって創造的な日々となり、この『子守歌』や『英雄ポロネーズ』など、数多くの作品がこの時期に生まれている。

『子守歌』の作曲経緯については、ジョルジュ・サンドの親戚にあたる子供からインスピレーションを受けたと考える説もあるようだ。

ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドと子守歌

ショパン『子守歌』作曲の動機については、フランスの人気女性オペラ歌手ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド(Pauline García-Viardot/1821–1910)との関係についても言及されることがある。

彼女は文学界・音楽界の著名人と多くの交流があり、類まれなる美声と演技力で、イワン・ツルゲーネフ、ベルリオーズ、グノー、サン=サーンスらの崇拝を受けた。

ショパンやジョルジュ・サンドとも親交があり、ジョルジュ・サンドの小説『コンスエロ』(1843年)のヒロインのモデルにもなっている。

ポーリーヌ・ヴィアルドは結婚しており4人の子供がいたが、その子供らとの交流がショパン『子守歌』作曲の動機となったのではとの解説も見られる。

母の優しさあふれる世界の子守歌

子守歌といえば、シューベルト、ブラームス、モーツァルト(フリース)などのクラシックから、アイルランド民謡、ウェールズ民謡、マザーグースなどのトラディショナル、そして日本の童謡「ゆりかごの歌」など、世界中で様々なメロディーが存在する。詳細は、「世界の子守歌」特集ページで。

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ショパン名曲100

ショパン名曲1007割のトラックをショパン・コンクールゆかりのピアニスト(ティエンポとハイドシェック以外)で固め、演奏の系譜も辿れる6枚組。