ポルトガル国歌

ポルトガル共和国/Republic of Portugal

ユーラシア大陸の最西端、イベリア半島の南西に位置する共和制国家、ポルトガル(Portuguese Republic)。写真は、リスボンに次ぐ第二の都市ポルト旧市街地(ユネスコ世界遺産)。

ポルト旧市街地 ポルトガル

15世紀にはエンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマ(バスコ・ダ・ガマ)らが大航海時代とポルトガル海上帝国の礎を築き、ブラジルを植民地化したほか、インド洋や東南アジアの制海権を握った。

16世紀後半からはスペイン帝国の支配を受けるが、1640年のポルトガル王政復古戦争によりスペインから独立、以後300年近く続くブラガンサ朝が成立した。

18世紀にはブラジル植民地経営により繁栄維持を図ったが、産業革命を果たした新教国イギリスによる経済的支配を受け、実質的にイギリス帝国の傘下に組み込まれていく。

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歌詞の意味・和訳

1.
"Herois do mar, nobre povo,
Nacao valente e imortal,
Levantai hoje de novo
O esplendor de Portugal!
Entre as brumas da memoria,
O Patria sente-se a voz
Dos teus egregios avos,
Que ha-de guiar-te a vitoria!"

海神(わだつみ)の勇者達
勇敢かつ不滅の国家
今一度立ち上がれ
ポルトガルに栄光あれ!
追憶の霧の彼方から
おお祖国よ 聞こえるか
我等を勝利に導く先人の声が!

"As armas, as armas!
Sobre a terra, sobre o mar,
As armas, as armas!
Pela Patria lutar
Contra os canhoes marchar, marchar!

<コーラス>
武器を取れ!武器を取れ!
大地に 海原に
武器を取れ!武器を取れ!
祖国のために戦わん
砲撃をかいくぐり 進め!進め!

フランスに追われブラジルへ遷都

1789年にフランス革命が勃発し、続くナポレオン戦争でイギリス側についたポルトガルは、1807年に首都リスボンをフランス軍に占領された。しかし直前にポルトガル王室は植民地ブラジルに逃亡・遷都しており、以後1821年までリオデジャネイロがポルトガルの正式な首都となった。

【関連ページ】 ブラジル国歌 独立の歴史とイピランガの叫び

1822年にはブラジルが独立、その後は産業革命によって台頭したブルジョアジーの間に共和主義が広まると、1910年10月に共和政革命が起こり、ポルトガル王政は打倒された。現在の国歌『ポルトガルの歌 A Portuguesa』は、この革命時に新たに制定されたもの。

長期独裁政権とカーネーション革命

その後政治的混乱やクーデターを繰り返した後、1933年からはアントニオ・サラザール首相による長期独裁政権「エスタード・ノヴォ(Estado Novo)」が成立。1974年には、軍事クーデターによる無血革命「カーネーション革命(リスボンの春)」により、ヨーロッパで最も長い40年間の独裁体制は終焉の時を迎えた。

やがて海外の植民地が次々と独立を果たし、1999年にはマカオが中国へ返還され、2002年には東ティモールが独立を果たすと、大航海時代の始まりと共に誕生したポルトガル海上帝国は名実共にその歴史を終えて消滅した。

日本との関係

大航海時代に東アジアまで勢力を伸ばしたポルトガルは、1543年、鹿児島県の種子島(たねがしま)へ商船が漂着。日本へ鉄砲が伝来した。

1549年にはフランシスコ・ザビエルが来日。織田信長らの庇護のもと南蛮貿易が開始された。江戸時代にも平戸や長崎を通じ、鎖国まで貿易が続いた。

ポルトガルとの貿易により日本には様々な物品が定着し、カッパ、カルタ、金平糖、ジョウロ、タバコ、チャルメラ、テンプラ(異説あり)、トタン、バッテラ、ボタンなど、ポルトガル語が起源の商品名が、現在の日本でもそのまま日本語の中で用いられている。

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