若いオスマン(若きオスマン)トルコ軍楽

コンスタンティノープルを陥落させた「若きオスマン」メフメト2世

『若いオスマン Genç Osman』は、日本でも演奏機会の比較的多いトルコ軍楽・メフテル。『若きオスマン』『ゲンチ・オスマン』の表記も見られる。

600年以上続いたオスマン帝国の歴史の中で、年若くして皇帝の座に就いた「若いオスマン」とも呼ぶべき人物は何人かいるが、このページでは、「征服者」「破壊者」として恐れられたメフメト2世について簡単にご紹介したい。

若きオスマン メフメト2世

挿絵は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブル)を陥落させた「若きオスマン」メフメト2世(出典:Wikipedia)。

メフメト2世(Mehmet II/1432-1481)は12歳でオスマン帝国のスルタン(皇帝)に即位。一時期は父ムラト2世に帝位を返上したが、父の死により19歳で2度目の即位を果たした。

21歳の1453年4月6日、「若きオスマン」メフメト2世は、父の代から攻め続けていたコンスタンティノープルの包囲を開始。短期決戦に臨んだオスマン軍は5月29日にコンスタンティノープルを攻略、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅亡させた。

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歌詞『若いオスマン』

Of of Genç Osman dediğin bir küçük uşak
Beline bağlamış ibrişim kuşak of of. 
Aman Askerin içinde birinci uşak
Allah Allah deyip geçti Genç Osman of of. 

Of of Genç Osman dediğin bir küçük aslan
Bağdat'ın içime girilmez yastan of of. 
Aman her ana doğurmaz böyle bir aslan 
Allah Allah deyip geçti Genç Osman of of. 

Of of Bağdat'ın kapısını Genç Osman açtı
Düşmanın cümlesi önünden kaçtı of of. 
Aman kelle koltuğunda üç gün savaştı
Allah Allah deyip geçti Genç Osman of of.

アヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)

オスマン帝国のメフメト2世が征服したトルコのイスタンブール(コンスタンティノープル)には、東ローマ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたアヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)があった。

アヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)

写真:アヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)出典:Wikipedia

メフメト2世はコンスタンティノープルを占拠したその日のうちに大聖堂に赴き、 これを直ちにモスク(イスラム教の礼拝堂)へ転用することを宣言した。

建物の周囲には4本のミナレットが建設され、内部は十字架が取り外された。マッカ(メッカ)の方向を示す「ミフラーブ」などが加えられたが、 内部の改修は必要最低限にとどめられた。

アヤソフィアは、オスマン帝国の君主が毎週の金曜礼拝に訪れ、帝国において最も格式の高いモスクのひとつとされた。

現在は無宗教の博物館として公開されている。トルコの世界遺産。

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