椰子の実 やしのみ 歌詞の意味

名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ

『椰子の実(やしのみ)』は、1936年に発表された日本の歌曲。作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二。

歌詞の誕生については、柳田國男が愛知県の伊良湖岬 (いらごみさき)に滞在した際の体験が元になっている(写真:伊良湖岬と恋路ヶ浜)。

1898年(明治31年)夏、東京帝国大学2年だった柳田國男は、伊良湖岬の突端で1カ月滞在していた際、海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた。

「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した。」

柳田國男は、親友だった島崎藤村にその様子を話し伝えた。藤村はこの話にヒントを得て、椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂いを重ね、歌曲『椰子の実』の詩を詠んだという。

【YouTube】唱歌 ・ 椰子の実 "YASHINOMI"

歌詞『椰子の実』

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙

思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん

歌詞の意味(現代語訳)

名前も知らない遠い島から
流れてきた椰子の実が一つ

故郷の岸をはなれて
おまえはいったい何ヶ月の間
波に流されてきたのか

椰子の実が成っていた元の木は
今も生いしげっているのだろうか

枝は今もなお
影をつくっているのだろうか

わたしもまた 波の音を枕に
一人寂しく旅している

椰子の実を胸に当てれば
さまよい歩く旅の憂いが身に染みる

海に沈む夕日を見れば
故郷を思い あふれ落ちる涙

遠い旅路に思いを馳せる
いつの日か故郷に帰ろう

ヴィヴァルディ『ニシ・ドミヌス』に似てる?

余談だが、日本の歌曲『椰子の実』冒頭のメロディは、イタリア・バロック後期の作曲家ヴィヴァルディによる宗教音楽『ニシ・ドミヌス Nisi Dominus』第6曲の前奏部分とよく似ている。

『椰子の実』作曲者の大中寅二は、東京都港区赤坂の霊南坂教会で半世紀にわたりオルガン奏者を務めていたキリスト教徒であり、ヴィヴァルディによる宗教音楽に触れる機会もあったと思われる。

このような日本の歌曲とクラシック音楽の偶然の一致については、こちらの特集「元ネタ・原曲・似てる曲 そっくりメロディ研究室」で有名なケースを一通りまとめているので是非お立ち寄りいただきたい。 

島崎藤村の詩による歌曲

小諸なる古城のほとり 島崎藤村
島崎藤村が長野県小諸の懐古園で詠んだ旅愁の詩
朝 島崎藤村 歌詞の意味
朝はふたたびここにあり 朝はわれらと共にあり

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