伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕様へは月参り

民謡『伊勢音頭』や「東海道中膝栗毛」にも登場

江戸時代には、伊勢神宮や熊野三山、善光寺や金刀比羅宮などへ、一般庶民が日本全国から参詣に訪れた(下写真:熊野那智大社/出典:Wikipedia)。

その様子は川柳や都々逸(どどいつ)などに詠まれ、本ページで取り上げるこの唄もそのうちの一つである。

伊勢へ七度(ななたび)熊野へ三度(さんど)
愛宕様(あたごさま)へは月参り

江戸時代の作家・十返舎一九による滑稽本「東海道中膝栗毛」にも登場する有名な句で、民謡『伊勢音頭』でも歌われたこの唄について、キーワードを拾いつつその意味や背景などについて簡単にまとめてみたい。

「伊勢へ七度」と七社の御朱印

「伊勢へ七度(ななたび)」の「七」は、七福神にもつながる縁起の良さや語呂の良さやなどから唄に用いられたと思われるが、それ以外にも伊勢神宮には「七」に関連する事柄がある。

日本の神社仏閣では、参拝者に御朱印(ごしゅいん)を授ける文化が今も残されているが、お伊勢参りの伊勢神宮では、次の7社で御朱印をいただくことができる。

皇大神宮(こうたいじんぐう)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
月読宮(つきよみのみや)
瀧原宮(たきはらのみや)
伊雑宮(いざわのみや)
倭姫宮(やまとひめのみや)
月夜見宮(つきよみのみや)

「熊野へ三度」と熊野三山

「熊野へ三度」の「三」は、熊野三山のそれから来ていることは想像に難くない。

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社からなる熊野三山への参詣は、「熊野詣(くまのもうで)」として、お伊勢参りと並ぶ江戸時代の人気スポットだった。

庶民が列を成して熊野詣に向かう様子は「蟻の熊野詣」「蟻の熊野参り」と呼ばれたほどだ。

熊野三山以外に「三」と関連する事項としては、熊野大神(素盞鳴尊/スサノオ)に仕える存在として信仰され熊野のシンボルとされる八咫烏(やたがらす、やたのからす)がある(写真:熊野本宮大社/出典:Wikipedia)。

八咫烏は、日本神話において神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされ、一般的に三本足のカラスとして知られている。

八咫烏の三本足の意味については諸説あるが、それぞれ天・地・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示す意味合いがあるようだ。

「愛宕様」は歴史の舞台

「愛宕様」は、この唄が江戸時代の関東地方で詠まれたことを考えると、現在の東京・赤坂の愛宕神社(東京タワーの北側)を指しているものと思われる。総本社は京都市右京区の愛宕神社。

江戸の愛宕神社であることをはっきりさせるため、「芝の愛宕へ月参り」の歌詞で唄われることもある。

芝の愛宕山から見る美しい「月」と、愛宕神社へ「毎月」でも参詣しようという掛詞(かけことば)となっているようだ。

この愛宕山は、いくつかの歴史上の重要な局面において密かな関りをもっている。

ひとつは、1860年に江戸城で大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」。1860年3月24日(安政7年3月3日)の早朝、水戸浪士の一行は愛宕神社で落ち合い、桜田門外へ向かった。

もうひとつは、明治維新につながる江戸時代末期の「江戸無血開城」。西郷隆盛と勝海舟は、二人で愛宕山に登り江戸の街を見渡しながら、いかにして無益な内乱を回避できるか話し合ったという。

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