銀色の道 歌詞と解説 歌謡曲
NHKバラエティ番組から生まれた60年代歌謡曲
「遠い遠い はるかな道は」が歌いだしの『銀色の道』(ぎんいろのみち)は、NHKバラエティ番組「夢をあなたに」内で1966年に発表された歌謡曲。
歌は、ザ・ピーナッツとダークダックスとの競作。同年10月にレコードが発売された。
NHK「夢をあなたに」の前身は、『上を向いて歩こう』、『遠くへ行きたい』、『こんにちは赤ちゃん』など、永六輔・中村八大の「六・八コンビ」が数々のヒット曲を生み出したNHKの伝説的バラエティ番組「夢であいましょう」。
『銀色の道』が生まれた「夢をあなたに」は、「夢であいましょう」の後継番組として1966年4月に放送開始されたが、前身の存在感が大きすぎたのか、わずか1年間で番組終了となっている。
『銀色の道』の作詞者は、「夜のヒットスタジオ」や「8時だョ!全員集合」など、日本のテレビ番組史上に残る数多くの名番組に貢献した放送作家の塚田 茂(つかだ しげる/1926-2008)。
作曲者は、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」主題歌、ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、朝番組「ズームイン!!朝!」テーマ曲などを手掛けた宮川 泰(みやがわ ひろし/1931-2006)。
【YouTube】ダークダックス版
【YouTube】ザ・ピーナッツ版
歌詞
遠い遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとり ひとり 今日もひとり
銀色の はるかな道ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが がんばろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く続く 明日も続く
銀色の はるかな道続く続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
ふたりの星よ 照らしておくれ
近い近い 夜明けは近い
銀色の はるかな道
はるかな道 はるかな道
ルーツは北海道紋別市の鉱山?
『銀色の道』作曲者の宮川は、土木技術者の父親の赴任先である北海道留萌市(るもいし)で生まれた。
その後も父親の異動に伴い、北海道紋別市鴻之舞(こうのまい)や、大分県日田市(ひたし)など、転校を繰り返していた。
写真:北海道紋別市(出典:Wikipedia)
鴻之舞には住友金属鉱山の鴻之舞鉱山が当時存在しており、宮川の父親は、鉱山での専用軌道(軽便鉄道路線)建設に携わっていた。
『銀色の道』は鉱山鉄道のレール?
紋別文化連盟編「文芸オホーツク11号」(2001年)の記事によれば、この鉱山鉄道のレールの情景が、『銀色の道』のメロディ誕生に関係しているという。
この歌詞を彼(作詞家・塚田茂氏)から渡されたとき、どことなく懐かしさを覚えました。"遠い遠い遙かな道は冬の嵐が吹いているが谷間の春は花が咲いている-"。少年期を過ごした鴻之舞に重なる内容です。
正直なところ、曲をつける時点では、それほど意識はしていなかったと思います。でも父が亡くなり、その後、何度か紋別を訪れて、父の無念の思いや自分の望郷の念が重なりあって自分自身、この曲の原点が鴻之舞にあると確信するようになったのです。
<引用:紋別文化連盟編「文芸オホーツク11号」>
つまり、作曲当時から鴻之舞の情景を意識して作曲したわけではなく、後年に現地を訪れて、記憶の中の情景に思いを馳せているうちに、『銀色の道』の情景との深層心理的なつながりに気がついだということになるだろう。
歌詞についても、鴻之舞の情景を歌詞に織り込むよう作詞者が指示を受けていたわけではなく、出来上がった作品がたまたま作曲者の小学校時代の思い出と重なる部分があったという偶然の一致であり、後付けの説明ということになりそうだ。
鴻之舞は誕生の地?違和感も
それでも、鴻之舞の鉱山鉄道後には、『銀色の道』の歌碑が建立されており、そこには「銀色の道 誕生の地」とまで記されている。
写真:『銀色の道』の歌碑(出典:Webサイト「歌碑を訪ねて西東」)
『銀色の道』と鴻之舞のつながりは、作曲者の小学校時代の記憶という一点のみであることを考えれば、さすがに「誕生の地」とまでしてしまうのは違和感を覚える方も少なくないかもしれない。
作曲者にとっては、『銀色の道』とは鴻之舞の鉱山鉄道のレールということになるだろうが、その思い出はそもそも歌詞の成立とは無関係であり、聞く人にとってそれぞれの『銀色の道』を思い浮かべれば良いのではないかと思われる。
関連ページ
- 冬の童謡・唱歌・日本のうた
- 『雪(ゆきやこんこ)』、『冬景色』、『たきび』など、冬を感じる日本の歌・世界の歌まとめ