憧れのハワイ航路 歌詞の意味

晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音たのし

「晴れた空 そよぐ風」が歌い出しの『憧れのハワイ航路』は、岡晴夫の歌唱により1948年(昭和23年)にリリースされた歌謡曲。作詞:石本美由起、作曲:江口夜詩。

現代では飛行機で気軽に行ける観光地ハワイだが、昭和初期における海外への船旅は非常に高額で、一般庶民にはほとんど縁の無い「憧れの」ハワイ航路だった。

写真:ハワイ・ワイキキビーチ(出典:Wikipedia)

昭和初期のハワイ航路とは、一体どのような船旅だったのだろうか?

『憧れのハワイ航路』が指し示している具体的なモデルは明らかではないが、昭和初期のハワイ航路と言えば、日本郵船の豪華客船・浅間丸(あさままる)による横浜ーサンフランシスコ間(ホノルル経由)の航路が有名。

このページでは、昭和初期の豪華客船・浅間丸とハワイ航路について、簡単に情報をまとめてみたい。その後で、『憧れのハワイ航路』の有名な一番の歌詞について、ポイントとなる二つのキーワードを解説していく。

なお、作詞者はハワイ航路への乗船経験が無かったため、地元・広島県の山から見た瀬戸内海上の商船をモデルにイメージを膨らませて作詞したという。

【YouTube】憧れのハワイ航路

歌詞

晴れた空 そよぐ風
港出船の ドラの音愉(たの)し
別れテープを 笑顔で切れば
希望(のぞみ)はてない 遥かな潮路
あゝ 憧れの ハワイ航路

波の背を バラ色に
染めて真赤な 夕陽が沈む
一人デッキで ウクレレ弾けば
歌もなつかし あのアロハオエ
あゝ 憧れの ハワイ航路

常夏の 黄金月
夜のキャビンの 小窓を照す
夢も通うよ あのホノルルの
椰子の並木路 ホワイトホテル
あゝ 憧れの ハワイ航路

ハワイ航路と豪華客船・浅間丸

昭和初期のハワイ航路を象徴する豪華客船・浅間丸(あさままる)。1929年(昭和4年)に就航した日本郵船の貨客船で、横浜ーサンフランシスコ間をホノルル経由で結んだ。

淺間丸

写真:当時の淺間丸(初代/1931年撮影/出典:Wikipedia)

当時の外国船と比べると規模は小さかったが内装は豪華で、その壮麗さから「太平洋の女王」と呼ばれることもあったようだ。

太平洋横断の速度記録を更新するなど性能面でも優れ、1932年のロサンゼルスオリンピックで日本選手の渡米に用いられた。

淺間丸の模型

写真:淺間丸の模型(出典:日本郵船公式ツイッター)

他にも、ハリウッドスターのダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻が来日した際に乗船したほか、ヘレン・ケラーが1937年(昭和12年)に3か月ほど訪日した際に彼女を日本へ運んだのも浅間丸だった。

第二次大戦中は交換船・輸送船として活躍した浅間丸は、1944年11月1日、台湾南部の高雄へ航行中に、アメリカ海軍の潜水艦アトゥルの魚雷攻撃を受けて沈没した。

歌詞の意味・補足

『憧れのハワイ航路』一番の歌詞では、客船に関連する「ドラ」と「別れテープ」というキーワードが登場する。その意味や由来などについて簡単に解説しておきたい。

晴れた空 そよぐ風
港出船の ドラの音たのし
別れテープを 笑顔で切れば

<作詞:石本美由起『憧れのハワイ航路』一番の歌詞より引用>

「ドラの音」の「ドラ」とは、中国に由来する円盤状の金属製打楽器「銅鑼(どら)」のこと。和菓子「どら焼き」の語源・由来とも言われる。

ドラの実演 青函連絡船 講演会

写真:ドラの実演(第12回青函連絡船講演会/出典:ブログ「西乃湯」)

日本では、船舶の出港時に、船員が手持ちの小さめなドラを打ち鳴らす慣習がある。航行中の視界不良時には、近隣の船舶に対する音響信号として用いられる。

【YouTube】 ドラを打ち鳴らす様子

ちなみに、藤子・F・不二雄「ドラえもん」のドラは、ドラ猫のドラに由来している(ネコ型ロボットなので猫つながり)。ドラ猫のドラは「野良猫(のらねこ)」の「のら」が強調された語句のようだ。

ドラえもんは和菓子の「どら焼き」が大好物というキャラクター設定があるが、これもドラ猫のドラから着想したものだろう。

別れテープは日本生まれ

歌詞の「別れテープ」とは、クルーズ船や離島のフェリーなどの大型船が出港する際に、船と岸壁を結ぶように投げ込む色とりどりの紙テープのこと。

主に世界一周や日本一周などの長期にわたる航路の出港時や、3月の卒業シーズンに島を離れる人を見送る際など、別れを惜しんだり旅立ちを祝う意味合いで用いられる。

金沢港「飛鳥Ⅱ」出港見送りイベント

写真:金沢港「飛鳥Ⅱ」出港見送りイベント(出典:ブログ「i北陸」)

この紙テープの慣習は、実は日本独自のもの。1915年のサンフランシスコ万博で考案された。

当初、緩衝材(クッション材)やラッピング材として万博会場で売り出した紙テープだったが、いずれの用途でもまったく紙テープは売れなかった。

そこで目を付けたのが、万博会場近くの港に集まっていた世界各国の客船。見送りに来ていた人々に紙テープを風になびかせて見せ、「テープで別れの握手をしませんか?」と売り込みをかけると、これが大当たり。「別れテープ」誕生の瞬間だった。

その後「別れテープ」は、外国船では定着せず、日本の客船のみで行われる独自の慣習として定着した。現代の日本でも、機会こそ少なくなったが、長期に渡る航路の出港時などで、この別れの紙テープが行われている。

関連ページ

戦後の歌謡曲・童謡 昭和20年代の有名な歌
戦後の復興を歌声で支えた昭和20年代のヒット曲まとめ
有名なハワイ音楽 ハワイアン・ミュージック
『アロハオエ』、『カイマナヒラ』など、有名なハワイアン・ミュージックまとめ