アウンサンから鈴木大佐への感謝状
ミャンマー(ビルマ)/世界史・国際関係トピックス
終戦後、「南機関」を率いた鈴木敬司大佐が見せしめのためにビルマに連行され、ラングーン刑務所に収監された。
BC級戦犯として裁判にかけられそうになったとき、アウンサンは「ビルマ独立の恩人を裁判にかけるとは何事か」と猛抗議し、鈴木氏を釈放させることに成功したという。
南機関から「30人の同志(三十人の志士)」として過酷な軍事訓練を受けた一人のネウィン(Ne Win)は、 1962年から1981年まで第4代ビルマ連邦大統領となり、1966年に鈴木氏らをビルマに招待。
1981年には、南機関の関係者6人にビルマ最高の栄誉「アウンサンの旗」勲章を授与し、ビルマ独立の礎を築いたその偉業を称えた。
アウンサンからの感謝状
勲章が授与された時には、既に鈴木氏は他界していた。代わりに出席した鈴木夫人は、ある書状を携えていたという。
それは、1942年に鈴木大佐が任務を終えてビルマを去る際、アウンサン(下写真)ら独立の志士から手渡された感謝状だった。そこには、このような感謝のメッセージがつづられていた。
「父親が子供に教え諭すがごとく、その子供を守るがごとく、雷将軍(鈴木敬司氏)は真の愛情をもって、ビルマ独立義勇軍の兵士全員を教え、全員をかばい、全員のことに心を砕いてくれた。
ビルマ人は、その老若男女を問わず、このことを忘れることは決してない。われらは、ビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人を末永く懐かしむ。
将軍のビルマ国への貢献も、いつまでも感謝される。たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持が亡ぶことはない」
ミャンマー(ビルマ)の歴史
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- アウンサンから鈴木大佐への感謝の言葉 <このページ>
- たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持が亡ぶことはない
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