蛍雪の功 けいせつのこう
卒業ソング『蛍の光』の歌詞で有名な中国の故事・ことわざ
「蛍雪の功(けいせつのこう)」は、「蛍の光 窓の雪」の歌いだしで有名な卒業ソング『蛍の光(ほたるのひかり)』の歌詞の元ネタとして知られる中国の故事・ことわざ。
同じく卒業式の歌『仰げば尊し』でも、「蛍雪の功」に基づく歌詞が登場する。
意味としては、昼も夜も一途に学問に励む事を褒め称えること、またはその成果を表している。
旺文社の大学受験雑誌「螢雪時代」(けいせつじだい)も、この「蛍雪の功」に由来した書籍名。
さて一体、中国の故事「蛍雪の功」はどんな人物の出来事に由来しているのだろうか?有名な三国志にも軽く触れつつ、故事の内容について簡単にまとめてみた。
蛍を集めて夜も勉学
時代は4世紀半ば頃。三国志において諸葛亮孔明と死闘を繰り広げた司馬懿(しばい)のの曾孫(ひまご)である元帝(げんてい)が興した東晋でのこと。
東晋の王朝は長江の南を意味する江南(こうなん)に置かれていた。
写真:長江(ちょうこう/出典:Wikipedia)
車胤(しゃいん)という若者が勉学に励んでいたが、家は貧しく、夜に明かりをつけるための灯火の油を買うことが出来なかった。
暗い夜でも勉強が出来るように、車胤は夏に絹の袋に数十匹の蛍を集め、その光で書物を照らして書物を読むことが出来たという。
勉学の成果もあってか、車胤はその後征西長吏となり、中央に仕えるまでに至ったとされている。
月光の雪明りで勉強
車胤と同じ頃の中国・東晋では、同じく貧しい家庭で勉学に励む孫康(そん こう)という青年がいた。
写真:雪明りと窓とネコ(出典:ブログ「ニャンミーの庭仕事」)
冬は陽が落ちるのが早く、夜が長い。そんな冬の夜長にも勉強を続けるため、孫康はあえて寒い窓際に机を置き、月明かりが積もった雪に反射する光を利用して、書物を読み進めたという。
こうした努力が実を結び、孫康はやがて立身出世し、官僚の監察を行う御史台の長官職である御史大夫(ぎょしたいふ)に任じられた。
これが「蛍の光 窓の雪」における「窓の雪」の逸話となっている。
二人合わせて「蛍雪」
蛍の光と、窓の雪明りの逸話は、それぞれ別人についての故事だが、それらを合わせて「蛍雪の功」として後世に語り継がれていった。
確かに、蛍の成虫が生息するのは初夏などの短い時期なので、それ以外の季節は夜は勉強しなかったのかとか、孫康は冬以外の季節はどうしたんだとか、ツッコミどころはあるかもしれないが、これはあくまで勉学へ向けた努力の究極の形の一例と捉えるべきであろう。
ちなみに、蛍の光を集めた車胤は勉学に優れていただけではなく、上官との付き合い方や遊興にも長けていたとされ、宴席を設ける際には彼が率先して手配し盛り上げ、上官から気に入られていたという。
こうした処世術も、勉学で身に着いた思考力・判断力・計算能力が大きく役立っていたのかもしれない。
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