クライスラーの偽作 意味・理由は?

偽作は他の演奏家や観客への配慮だった?諸説まとめ

オーストリア出身のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)は、自分が作曲した楽曲を昔の作曲家による作品として発表するという「偽作」を行った音楽家として知られている。

例えば、クライスラーの代表曲『愛の喜び』や『愛の悲しみ』などは、「ワルツの始祖」ヨーゼフ・ランナーの作品を編曲した楽曲として発表されていた。

クライスラーの偽作は一曲や二曲ではなく、『ヴィヴァルディの様式による協奏曲』や『バッハの様式によるグラーヴェ』など、主にバロック期の作曲家に関連する偽作を数多く発表していた。

しかもこれらの偽作はすぐに発覚することはなく、発表されて数十年も経ってから、本人が還暦を過ぎた頃にさらっと認めて大騒ぎになっている。

一体なぜ、クライスラーほどの高い技術を持ったヴァイオリニストがこれほどの「偽作」を行わなければならなかったのか?

偽作の意味や理由・動機については諸説あるようで、ネットでも様々な解釈が見受けられた。このページでは、ネットで見かけた諸説について簡単にまとめてみたい。

写真:クライスラーの墓(ニューヨーク・ウッドローン墓地/出典:Wikipedia)

自分の作品ばかり並ぶのを避けるため

弦楽器専門店チャキ弦楽器Webサイトの解説によれば、クライスラーの偽作は、自分のコンサートで演奏プログラムに自分の作品ばかり並ぶのを避けたいという意味・理由があったという。

その理由については彼のいたずら心によるものであるとか、注目を集めるためにそうしたとか、諸説ありますが、本人は「プログラムに自分の名前ばかり並べるのは不遜に思えた」と語っています。

発表後間もなく偽作に気付いた人もいましたが(ハイフェッツやエネスコなど彼の親しい友人達)、評論家達は当初、手放しで賞賛していました。

引用:弦楽器専門店チャキ弦楽器Webサイトより

これは、自分の名前ばかり並んで出しゃばり過ぎるから謙虚にしたいといった理由だけではなく、あくまでも観客の立場に立って、同じ作曲家による(同じ作風の)曲だけでは観客が飽きてしまうだろうという配慮(サービス精神)があったようだ。

作曲者の名前だけ変えても同じ作風では観客に飽きられてしまいそうだが、クライスラーの偽作は様々な作曲家の作品の一部を引用して編曲しているので、その点は問題がなかったと思われる。

他の演奏家への配慮

ピアニスト本田聖嗣氏による解説によれば、演奏家が作曲することに当時偏見があったこと、そして活動中の名ヴァイオリニストの作品だと他の演奏家が扱いにくいなどの理由が考えられるようだ。

どうしてこんなややこしいことをしたかというと、演奏家の作曲ということに偏見を抱く人が多いと彼自身が感じていたことと、もし、存命中の「大ヴァイオリニスト・クライスラー」の作曲ということになると、同時代の他のヴァイオリニストが遠慮して弾いてくれないだろう、という予想があったからです。

引用:J-CASTトレンド 本田聖嗣氏の記事より

こうなるとクライスラーの偽作は、他者への深い配慮の末に決断された苦肉の策であった可能性がありそうだ。

日本経済新聞社「NIKKEI STYLE」Webサイトの記事でも、クライスラーの偽作について次のように同様の理由・動機を挙げている。

クライスラーの釈明は「自作ばかりでは聴衆がうんざりする」「私の名が前面に出ては同業他者が弾きにくい」の2点。

引用:日本経済新聞社「NIKKEI STYLE」Webサイト

正当に評価してほしかった

若手が作曲した作品だと、評論家・批評家たちは最初からバカにして認めようとはしない、なんて状況だったら、正当な評価を受けるためには、過去の作曲家の名前を借りるという手段もある程度の合目的性が認められる。

NHK「ららら♪クラシック」Webサイトの解説によれば、クライスラーの偽作の理由・動機について、次のように推測している。

クライスラーは、自分の音楽を先入観なしに、正当に評価して欲しいと願っていたのかもしれません。

引用:NHK「ららら♪クラシック」Webサイト

批評家をバカにするため

バロック期など過去の歴史ある音楽作品ばかり評価する評論家・批評家たちの鼻を明かすため、見抜けるものなら見抜いてみろと偽作を行った可能性も考えられる。

各地で未発表曲の演奏を始めました。当時の評論家たちはこれを聴いて、「作曲は素晴らしいがフリッツの演奏は未熟だ」とこきおろしました。ある意味、今のマスコミといっしょですね。本当はフリッツの演奏がいいのに、既存の演奏家の利益を守るために意地悪をしていたのでしょう。

引用:Webサイト「オーストリア散策」より

評論家たちは、過去の古い名曲が発掘されたとなれば、それを手放しで高く評価するだろうというクライスラーの計算があったのだろう。

後になって、それはクライスラーが(一部引用の上で)作曲したと公表されれば、曲を褒めて演奏家をけなしていた評論家たちの面目は丸つぶれとなる。

もちろん、単に「注目を集めるため」といった単純な動機もなかったわけではないだろうが、本当の作曲者を明らかにしたときの評論家たちの慌てる様子が見たかったというイタズラ心も多分にあったように思われる。

ベルリオーズも50年前に偽作

実は、クライスラーのような形態の偽作については、すでにその50年前、19世紀フランスの作曲家・指揮者ベルリオーズが「実績」を残している。

ベルリオーズは1850年11月12日に『羊飼いたちの別れ』を発表。作曲者として自分の名を伏せたうえで、「パリの宮廷礼拝堂の楽長ピエール・デュクレが1679年に作曲した古風なオラトリオの断章」と称して発表した。

聴衆も批評家たちも信じ込み、作品は好評を博した。後にベルリオーズは自分が作曲者であると自ら公表したが、評価が覆ることはなかった。

ベルリオーズはこれをさらに発展、拡大させて3部構成の作品に仕上げ、『キリストの幼時(L'enfance du Christ)』作品25として発表し、1854年に初演された。

クライスラーよりも半世紀前に、存命の作曲者による偽作のスタイルは確立していたようだ。

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