石焼き芋屋の歌・歴史

移動販売・物売り・引き売りの呼び込み/年中行事カレンダー

アツアツでホクホクの甘いサツマイモが美味しい冬の風物詩、石焼き芋の移動販売。

石を焼く窯を軽トラックや屋台に乗せて、定番の呼び込み・物売り声とともに、冬の町をゆっくりと石焼き芋を売り歩く。

石焼き芋の歌ともいえる「いーしやーきいもー♪」の呼び込み・物売り声について、そのルーツ・由来等については定かではない。

石焼き芋の引き売り・移動販売が始まったのは戦後のことなので、それ以前にあった納豆やあさり・しじみ売りなどの引き売りの呼び込みを参考にして、新たに石焼き芋の歌が作られたのだろう。

よく聞いてみると、最初の一文字を伸ばした後に「や」を長く歌うなど、さおだけ屋の「たーけやー、さーおだけー♪」の物売り声に共通する部分も垣間見られるが、どちらが先に歌われ始めたのかについては不明。

戦前まではお店で販売

移動販売・引き売りのイメージが強い石焼き芋だが、戦前までは実店舗、つまり普通のお店を構えて、店内の釜戸などで焼き芋が作られていた。少し詳しく見てみよう。

ルーツは江戸時代 栗より美味い十三里

焼き芋のルーツ・歴史的には、江戸時代後期までさかのぼる。当時は素焼きの焙烙(ほうろく)や土鍋で焼かれていた。

当時の売り文句・呼び込みは「栗より美味い十三里」。その意味合いは、「クリ(九里)より(四里)うまい十三里(九+四)」という江戸っ子の駄洒落のようだ。

この「十三里」というフレーズは、焼き芋のみならず、サツマイモの代名詞として定着していった。

その後、焼き芋屋は明治時代に全盛期を迎え、明治33年(1900年)の東京府下では、釜戸焼きの焼き芋屋は1400軒、つぼ焼きでは500軒以上にも膨れ上がったという。

しかし、大正12年(1923年)の関東大震災で東京は壊滅的な被害を受け、東京の焼き芋屋も営業不能に。

さらに震災後は、「ハイカラ」な菓子パン、ビスケット、カステラ、キャラメル、チョコレートなどの洋菓子におされ、焼き芋屋は徐々に人気を失ってしまった。

戦後に広まった石焼き芋の引き売り

戦後の東京では、墨田区向島の三野輪万蔵という人物がリヤカーで石焼き芋の引き売りを始め、浅草や深川などの下町を中心に石焼き芋は一気に広まった。

1960年代の高度経済成長期に最盛期を迎えた石焼き芋の引き売り。戦後の庶民の暮らしを描いた長谷川町子の漫画「サザエさん」(原作)にも、その姿が何度か描写されている。

しかし、大阪万博を過ぎた1970年代に入ると、マクドナルドなどのファーストフードやコンビニエンスストアなどが普及し始め、石焼き芋の売り上げは激減してしまった。

今日では冬季にスーパーなどでも販売され、ネットで石焼き芋の調理器具・道具も簡単に手に入る状況で、昔ながらの石焼き芋の引き売りはすっかり影をひそめてしまった昨今。

こんな便利な時代だからこそ、レトロで風情ある冬のイベントとして、伝統的な石焼き芋の引き売りを改めて利用してみるのもまた一興ではないだろうか。

参考文献:川越いも友の会篇「焼き芋小百科」

いろりや ホーロー やきいも鍋。ガス火で蒸し焼きの焼き芋が楽しめる。