酋長の娘 わたしのラバさん
ミクロネシアに移住した日本人の実話に基づく昭和のコミックソング
「わたしのラバさん」が歌い出しの『酋長の娘』(しゅうちょうのむすめ)は、1930年(昭和5年)にレコード発売された昭和のコミックソング。
「ラバさん」とは、英語の「Lover ラバー」が語源であり、恋人・愛人などを意味する。
写真:マーシャル諸島(出典:Wikipedia)
歌詞は、ミクロネシアで島の酋長(首長)の娘と結婚した実在の日本人(高知県出身の森小弁)がモチーフとなっている。
作詞・作曲者については、演歌師の石田一松と紹介されるが、元歌は旧制高知高校(現:高知大学)の寮祭で歌われた学生歌(詳細は後述)。
【YouTube】 酋長の娘 勝丸
歌詞の一例
一、
わたしのラバさん 酋長の娘
色は黒いが 南洋じゃ美人
二、
赤道直下 マーシャル群島
ヤシの木陰で テクテク踊る
三、
踊れ踊れ どぶろくのんで
明日は嬉しい 首の祭り
四、
踊れ踊れ 踊らぬものに
誰がお嫁に 行くものか
五、
昨日浜で見た 酋長の娘
今日はバナナの 木陰で眠る
ドリフのラバさん
ザ・ドリフターズのカバー『ドリフのラバさん』が有名で、歌詞は「お風呂屋の娘」「床屋の娘」「タバコ屋の娘」「そば屋の娘」「くすり屋の娘」の5人の娘が登場する。
ジャケット写真:『ドリフのラバさん』収録 ドリフだョ!全員集合(青盤)
【YouTube】ドリフのラバさん
モチーフとなった人物について
『酋長の娘』のモチーフとなったのは、1892年(明治25年)にミクロネシアのチューク諸島(トラック島)に移住した貿易商社マンの森 小弁 (もり こべん/1869-1945)。出身は高知県高知市。
現地民との親睦を深めるため、イライス村の酋長マヌッピスの長女のイザベルと結婚した。のちに小弁がイライス村の酋長を小弁が引き継いでいる。
現地は当時スペイン領であり、キリスト教がすでに普及していた。妻イザベルはミッションスクール出身の美人インテリ女性であったようで、夫婦喧嘩もなく、夫を立てる武士の妻のような良妻賢母だったという。
森 小弁の子孫は約3千人以上存在し、2007年から2015年までミクロネシア連邦大統領を務めたエマニュエル・マニー・モリ(Emanuel "Manny" Mori/1948-)もその一人(曾孫)である。
写真:元ミクロネシア連邦大統領マニー・モリ(出典:Wikipedia)
元歌について
『酋長の娘』の元歌は、旧制高知高校(現:高知大学)の余田弦彦が作詞・作曲した学生歌とされている。
余田弦彦は、『酋長の娘』作曲者である演歌師の石田一松と同級生。
彼は、秋の運動会の寮生の出し物として、体を炭で黒くぬり、腰蓑(こしみの)を付け、竹槍を持って南洋の踊りを披露した。その際に歌ったのが『だくだく踊りの歌』で、これが『酋長の娘』の原曲・元歌とされている。
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