お富さん 歌詞の意味

死んだはずだよ お富さん♪ 元ネタの歌舞伎あらすじ

『お富さん』(おとみさん)は、1954年(昭和29年)にリリースされた春日八郎の歌謡曲。「死んだはずだよ お富さん♪」は流行語にもなった。

歌詞は、江戸時代末期の歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけ うきなのよこぐし)が元ネタになっている。挿絵はその役者絵(出典:Wikipedia)。右側がお富。

通称「切られ与三(よさ)」、「お富与三郎(おとみよさぶろう)」、「源氏店(げんやだな)」などとも呼ばれる。

元ネタの歌舞伎「与話情浮名横櫛」のあらすじ・ストーリーと、それに関連する『お富さん』の歌詞の意味について、簡単にまとめてみた。

【YouTube】お富さん 歌詞つき

歌詞

粋(いき)な黒塀(くろべい) 見越しの松に
仇(あだ)な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦(しゃか)さまでも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店(げんやだな)

過ぎた昔を 恨むじゃないが
風もしみるよ 傷の痕(あと)
久しぶりだな お富さん
今じゃ異名(よびな)も 切られの与三(よさ)よ
これで一分(いちぶ)じゃ お富さん
エッサオー すまされめえ

かけちゃいけない 他人の花に
情かけたが 身の運命(さだめ)
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜は さしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エッサオー 茶わん酒

逢(あ)えばなつかし 語るも夢さ
だれが弾(ひ)くやら 明烏(あけがらす)
ついて来る気か お富さん
命短く 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エッサオー 地獄雨

元ネタの歌舞伎あらすじ(一部)

お富さん元ネタの歌舞伎「与話情浮名横櫛」の舞台は木更津の浜。与三郎はお富と出会い、お互いに一目惚れ。だがお富は地元の親分の女だった。

親分の手下にめった斬りにされた与三郎(切られの与三)。お富は逃げ出し海辺へ飛び込んだが、通りがかりの船に助けられた。それは和泉屋の大番頭・多左衛門の船だった。

与三郎は一命をとりとめ数年が経った。数十か所の刀傷の痕で知られる「向疵の与三(むこうきずのよさ)」として悪名を馳せていた。

あの日以来、与三郎はお富に会っていない。彼女は海で死んだと思っていた。

ある日、与三郎は金をせびりに金持ちの家に押し入った。そこで見かけた妾の顔をよく見れば、それはあの日、海で死んだはずのお富だった。

お富は、海で自分を助けてくれた多左衛門の妾になっていたのだ。

以降割愛。

粋な黒塀 見越しの松に

多左衛門のお屋敷の黒い塀。「見越しの松」とは、その塀を超えて外から見える敷地内の松の木を意味している。

写真:大阪府住吉区・あびこ観音周辺の風景(出典:快道ウォーキング)

玄冶店(げんやだな)

玄治店(げんやだな)とは、現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目あたりの地名(通りの名前)。

徳川家光に仕えた医師・岡本玄冶(おかもと げんや/1587-1645)の敷地跡から、この一帯が玄治店(げんやだな)と呼ばれるようになった。

ちなみに、歌舞伎「与話情浮名横櫛」では、当時実際の地名を用いることが幕府から禁じられていたため、当て字で「源氏店」(げんやだな)と表記している。

写真:現在の玄治店跡(出典:Wikipedia)

明烏 あけがらす

『お富さん』四番の歌詞にある「明烏(あけがらす)」とは、江戸時代(1772年)に作曲された心中物の浄瑠璃「明烏夢泡雪(あけがらす ゆめのあわゆき)」のこと。

江戸三河島であった情死事件を、吉原の遊女浦里と春日屋時次郎の情話として脚色したもの。

『お富さん』の歌詞では、この心中物の浄瑠璃「明烏夢泡雪」の名前を出すことで、二人の恋の悲しい結末を暗示していると思われる。

ちなみに、落語でも「明烏(あけがらす)」があるが、こちらは堅物な男が遊び人たちに連れられて吉原の遊女に骨抜きにされるという他愛のないストーリー。

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