なごり雪 歌詞の意味・解釈
女性フォークシンガー イルカのカバーで有名なかぐや姫のヒット曲
『なごり雪』は、かぐや姫(フォークバンド)が1974年にリリースした楽曲。アルバム『三階建の詩』に収録された。
作詞・作曲は、かぐや姫メンバーで当時22才前後の伊勢正三(いせ しょうぞう)。同アルバムには、同じく伊勢正三の作詞作曲による『22才の別れ』も収録されている。
翌年の1975年に女性フォークシンガーのイルカがカバーし、彼女にとって『なごり雪』は最大のヒット曲となった。
この曲が世に出るまで、「名残の雪(なごりのゆき)」という言葉はあったが、「なごり雪」という言葉はなかった。つまり伊勢正三による造語。
『なごり雪』がヒットしてから、曲名の造語について批判が寄せられ、「勝手にこんな言葉を作られては日本語の乱れを助長する。『名残の雪』に変えたらどうだとまで言われた。」という。
2013年、日本気象協会は「季節のことば36選」を選定。「3月のことば」の一つに「なごり雪」が選ばれた。これを知った伊勢はとても喜び、「胸のつかえが下りた気分」と語っている。
【YouTube】 なごり雪 伊勢正三・イルカ・南こうせつ
歌詞の意味・解釈
『なごり雪』歌詞には、いくつか解釈が分かれる歌詞があるように思われる。まずは、1番の歌詞を次のとおり引用する。
汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる東京で見る雪はこれが最後ねと
さみしそうに君がつぶやくなごり雪も降る時を知り
ふざけすぎた季節のあとで
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった<引用:伊勢正三『なごり雪』1番の歌詞より>
1番の歌詞では、特に「ふざけすぎた季節のあとで」と「なごり雪も降る時を知り」の所が、その意味や解釈について様々な受け止め方があるのではないだろうか。一つずつ補足してみたい。
ふざけすぎた季節のあとで
「ふざけすぎた季節」とは、大学生など20才前後の若い男女が謳歌する人生の春、いわゆる青春時代を意味していると考えられる。
ここでの「季節」とは、春夏秋冬のような天文学的・気象学的な「季節」ではなく、人生全体を通して見た場合の、特定の物事が盛んに行われる時期を表す言葉。
特に青春時代を表す際に使われることが多く、例えば『なごり雪』の2年前(1972年)にリリースされた歌謡曲『太陽がくれた季節』の歌詞でも、「青春は 太陽がくれた季節」のように、青春時代を表す語句として用いられている。
さらにさかのぼれば、石原慎太郎が1955年(昭和30年)に発表した短編小説『太陽の季節』における「季節」も、こうした用法の一つと言えるだろう。
また、『なごり雪』の2年後(1976年)には、森田公一とトップギャランのヒット曲『青春時代』の歌詞において、次のように「季節」が用いられている。
二人はもはや 美しい
季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ
愛を悲しむ女(ひと)になる
青春時代が夢なんて
あとからほのぼの想うもの
青春時代の真ん中は
胸に刺(とげ)さすことばかり<引用:阿久悠『青春時代』2番の歌詞より>
これらのように、『なごり雪』がリリースされた1970年代には、「季節」という言葉が青春時代を表す語句として、歌謡曲でよく用いられていたことが分かる。
『なごり雪』においては、ふざけすぎた季節の「あとで」となっており、人生の春を謳歌した青春時代は終わり、二人は就職や結婚など現実的な大人の世界へ旅立っていく時期であることが示唆されている。
ちなみに、『なごり雪』作詞者の伊勢正三氏は当時22才前後であり、大学に進学していれば、大学生活を終えて企業に新卒入社している頃の年齢。作者の年代的にも、大学時代のカップルが卒業の節目に別れを迎えるというストーリーには強い関心を持っていたことだろう。
これを裏付けるように、『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』には、伊勢正三氏が作詞・作曲を手がけた『22才の別れ』という歌があり、これも大学時代の男女とその別れがモチーフとなっている(歌詞については後掲する)。
なごり雪も降る時を知り
『なごり雪』の歌詞で最も解釈が分かれるのが、この「なごり雪も降る時を知り」という一節ではないだろうか。
曲の解釈は、それを聴く人がそれぞれ自分に納得のいく意味を見出す自由があってしかるべきであり、何が正解で何が間違いということはない。
参考までに、当ページの筆者の個人的解釈を述べるとすれば、「なごり雪も降る時を知り」とは、「降るべき時を知り」であり、それは「(もう)降るべきではない時を知り」であり、ついには「止むべき時を知り」の意味合いに帰着する。そして「止むべき時」とはすなわち、青春時代の終わりを意味する。
ここでの「雪」は、学生時代のフワフワして簡単に風に舞うような浮ついた「夢の時間」の象徴であり、それはやがて溶けて崩れて消える儚さと脆さに満ちたおぼろげな存在。
春になり女性との別れの時が迫っているというのに、学生時代の淡い季節を名残惜しむかのように駅のホームで降り続ける「なごり雪」は、まだ精神的に大人になり切れない男性の儚く未熟な内面を暗示したものであり、すでに気持ちが未来へ向かっている女性とのコントラストとなっている。
学生時代を名残惜しむこの男性は、駅のホームで女性を見送る日になって初めて、もう儚い雪のような夢の時間は終わったんだとようやく自覚したのかもしれない。それが「なごり雪も降る時を知り」(止むべき時を知り)という表現に表れているように感じられる。「今春が来て」の「今」も同様。
それはまさに学生時代という「はしゃぎすた季節」が終わり、名実ともに新たな人生の節目「春」が来た瞬間であり、相手の女性が精神的にも大人の女性になって、まだ学生気分に名残がある子供じみた男性にとっては、余計に「きれいになった」ように見えるのだろう。
2番以降の歌詞
参考までに、2番以降の歌詞については次のとおり。蛇足になりかねないので、以降の歌詞については皆さまそれぞれの解釈にお任せすることとしたい。
動き始めた汽車の窓に顔をつけて
君は何か言おうとしている
君の口びるがさようならと動くことが
こわくて下をむいてた時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった君が去ったホームにのこり
落ちてはとける雪を見ていた
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった<引用:伊勢正三『なごり雪』2番以降の歌詞より>
東京で見る雪
歌詞の「東京で見る雪」について若干補足。作詞者の伊勢正三氏によれば、『なごり雪』の舞台である駅のホームとは、本人の出身地である大分県津久見市の津久見駅がモチーフだそうだ。
写真:なごり雪の舞台のモチーフとされる津久見駅(出典:Wikipedia)
モチーフとなった津久見駅(つくみえき)は、大分県津久見市中央町にあるJR九州(九州旅客鉄道)日豊本線の駅。津久見市は大分県の東海岸に位置する。
2009年10月から津久見駅で『なごり雪』が特急発着時のメロディに採用され、翌年には駅構内に『なごり雪』の歌碑(記念碑)が設置された。
伊勢正三『22才の別れ』
最後に、伊勢正三『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』に同じく収録された『22才の別れ』について簡単にご紹介。
上述のとおり、これも『なごり雪』を手がけた伊勢正三氏が作詞・作曲した作品。『なごり雪』は男性視点の歌だったが、『22才の別れ』では、同じようなシチュエーションで女性視点の歌になっているのが大変興味深い。それはまるで『なごり雪』のアンサーソングのよう。
【YouTube】 22才の別れ かぐや姫
『なごり雪』との比較のため、伊勢正三『22才の別れ』の歌詞を次のとおり引用する。『なごり雪』の歌詞を思い浮かべながら聴いてみると、面白い発見があるかもしれない。
あなたに「さよなら」って言えるのは今日だけ
明日になってまたあなたの暖い手に触れたら
きっと言えなくなってしまう
そんな気がして…
私には 鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった
私の誕生日に22本のローソクをたて
ひとつひとつが みんな君の人生だねって言って
17本目からはいっしょに火をつけたのが
きのうのことのように…
今はただ 5年の月日が永すぎた春といえるだけです
あなたの 知らないところへ嫁いでゆく私にとって
ひとつだけ こんな私のわがまま聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで
変らずにいて下さい そのままで<引用:伊勢正三『22才の別れ』歌詞より>
この『22才の別れ』については、伊勢正三が後日談で次のように語っている。
制作の経緯を伊勢正三自らが語っている。
それ〔注:「なごり雪」〕に反して、「22才の別れ」は計算して作った。実は、この2曲は同じアルバムに入っている。1974年に発表された「三階建の詩」というアルバムだ。このアルバムには2曲書いた。最初に「なごり雪」を、その次にもう1曲別の作品をレコーディングした。だけど、なんだか気に入らなかった。「これは売れないなぁ」と直感してしまったのだ。だから、1日待ってもらうことにした。その日、家に帰って、絶対売れる歌を作ってやろうと思った。そうして、徹夜で作ったのが「22才の別れ」だ。だから、「なごり雪」は自分の好きな世界が自然に沸き上がってできた作品、「22才の別れ」はヒットを意識して作った作品だ。
<引用:ウィキペディア『なごり雪』より>
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