かごめかごめ 原曲の歌詞 意味と解釈
原曲にはツルもカメもいない?輪の中に誰もいなかった?
わらべうた『かごめかごめ』については、江戸時代中期からその原型・原曲を確認できるが、その江戸時代の原曲には「鶴と亀」は登場せず、「後ろの正面だあれ」のくだりもない。
現代の『かごめかごめ』が成立したのは明治時代以降のようだが、一体どのような経緯で現在の形になったのだろうか?
歴史資料を時系列に確認しながら検証してみたい。まずは確認の意味で現代版の歌詞を掲載する。
挿絵の出典:YouTube キッズボンボン TVより
【YouTube】かごめかごめ
歌詞(現代版)
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ
江戸中期の『かごめかごめ』
『かごめかごめ』の原型・原曲が確認できる最も古い現存の文献は、1820年頃に編纂された「竹堂随筆(ちくどうずいしゅう)」という童謡集とされている。
この童謡集では、1751年から1772年頃に収集された童謡が収められており、次のような『かごめかごめ』の歌詞が確認できる。
かァごめかごめ。
かーごのなかの鳥は。
いついつでやる。
夜あけのばんに。
つるつるつっぺぇつた。
なべのなべのそこぬけ。
そこぬいてーたーァもれ。
これを見る限り、江戸中期には「鶴と亀が滑った」の歌詞が「つるつるつっぺぇつた」だったことが分かる。
この「つるつる」は鳥のツル(鶴)ではなく、物がするすると引っ張られる様子の擬態語。「つっぺぇつた」は「つっぱいた」が変化したもので、「引っ張る、突っ込む」といった意味があるようだ(諸説あり)。
では、何がどのようにするすると引っ張られていったのだろうか?そのヒントは、現代にも伝わる遊び歌『なべなべそこぬけ』の多人数バージョンにあるように思われる。
関連ページ:なべなべそこぬけ 遊び方 歌詞の意味・由来
歌舞伎の一節
次に『かごめかごめ』の原型・原曲が確認できる資料としては、1813年の歌舞伎芝居の劇中に登場する子供の遊び唄が挙げられる。
かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、
夜明けの晩に、つるつるつっはいた<引用:春陽堂「大南北全集」より>
鶴屋南北作の歌舞伎芝居「戻橋背御摂(もどりばしせなのごひいき)」の一節で、清和源氏が登場する前太平記(ぜんたいへいき)物となっている。
江戸後期の童謡集
1844年の童謡集「幼稚遊昔雛形(おさなあそびむかしのひながた)」では、次のような『かごめかごめ』の歌詞が掲載されている。
かごめ かごめ
かごのなかへ(の)とりは
いついつねやる
よあけのまえに
つるつるつッペッた
なべの なべの そこぬけ
そこぬけたらどんかちこ
そこいれてたもれ
江戸中期の『かごめかごめ』と同じく、『なべなべそこぬけ』を思わせる歌詞が登場しているが、さらに「そこぬけたらどんかちこ」と興味深いフレーズが追加されている。
大正時代の『かごめかごめ』
1915年(大正4年)に発行された童謡集「俚謡集拾遺(りようしゅうしゅうい)」には、東京・長野・新潟で採収された次のような『かごめかごめ』の歌詞が収められた。
「籠目かごめ、籠の中の鳥は、いついつでやる、夜明けの晩に、ツルツル辷(つ)ウベッた。」(東京)
「籠目かごめ、籠の中のますは、何時何時出やる、十日の晩に、鶴亀ひきこめひきこめ。」(長野県)
「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、よあけの晩げつゝらつゥ」(新潟県)
これを見る限り、大正時代に入って「鶴と亀」はようやく登場したが、「後ろの正面だあれ」のくだりはまだ確認できていないようだ。
ちなみに、国立国会図書館デジタルコレクションでは、この「俚謡集拾遺」の全ページの画像を無料で閲覧できる。
「後ろの正面だあれ」はいつから登場した?
江戸中期から大正時代までの上述の3つの資料を見ても、「後ろの正面だあれ」のくだりは確認できなかった。
もちろん歴史的資料はこれだけではないし、「後ろの正面だあれ」が入っていないバージョンのみが偶然に収録されたという可能性も考えられるが、今のところ、大正4年の時点では、「後ろの正面だあれ」が歌われる形では遊ばれていなかった可能性が高そうだ。
なお、「後ろの正面だあれ」いつから登場したのかについては明らかではない。今後の研究の進展次第で、この点についても結論が出ることだろう。
では、どのように遊んでいた?
『かごめかごめ』で「後ろの正面だあれ」を歌わずに遊ぼうとすると、現代一般的な遊び方では歌とギャップが生じてしまう。
つまり、輪の中に誰かが一人入って、その子に最後に真後ろの子が誰かを当ててもらうという鬼当てゲームの場合、「後ろの正面だあれ」で締めくくる必要があり、このフレーズがないということは、この遊び方では遊ばれていなかった可能性が出てくる。
「後ろの正面だあれ」というフレーズ自体は、地蔵遊びと呼ばれる類似の遊びですでに明治時代には確認されていたようなので、これをあえて歌っていないということは、昔はそれを歌う必要がない遊び方だったということが考えられる。
では、「後ろの正面だあれ」が追加される前の『かごめかごめ』は一体どのように遊ばれていたのだろうか?
筆者の私見では、「後ろの正面だあれ」が追加される前の『かごめかごめ』は、中に誰も入らず、単に手をつないで円になり、くるくる回ったり、手をアーチ状にして門を作り、そこを手をつないだままでするするとくぐって入っていく(つるつるつっぱいた)遊びだったのではないかと推測している。
輪の中に誰も入らない遊び方
輪の中に人が入らない遊び方がありうるのか?と思いたくなるが、実は現代の保育園や小学校の授業で『なべなべそこぬけ』という形でこの遊び方が伝承されている。
他にも『つるつる かぎになれ』という手つなぎ遊びが現代まで伝えられており、『なべなべそこぬけ』の変則バージョン的な内容で遊んでいる動画がYouTubeでアップされている(2018年現在)。
日本民俗学の開拓者・柳田 國男(やなぎた くにお/1875(明治8年)-1962)の著書「こども風土記(ふどき)」では、こうした手つなぎ遊びについて次のような解説がなされている。
遊びはもともと輪を作って開いたり莟(つぼ)んだり、立ったり屈(かが)んだりするのが眼目(がんもく)であった。そうして歌は、またその動作と、完全に間拍子まびょうしがあっている。
ちなみに、この「かがむ」という動作が「かがめ かがめ」、つまり「かごめ かごめ」の語源の一つと考えられるようだ。
なお、このシンプルな手つなぎ遊びが、中に一人入る「地蔵遊び」といつどのような形で融合していったのかについては明らかではない。この点についての研究が深まることを期待したい。
地蔵遊びについては、こちらの「後ろの正面だあれ」のページでも少し解説しているので適宜参照されたい。
関連ページ
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