出船 でふね 歌詞と解説
石川啄木を慕って東北・北海道を旅した若き詩人の歌
「今宵(こよい)出船か お名残惜しや」が歌いだしの『出船』(でふね)は、作詞:勝田香月、作曲:杉山長谷夫による日本の歌謡曲。1928年(昭和3年)発表。
作詞者の勝田香月は静岡県沼津市出身。18歳のとき(1918年頃)、1912年に亡くなった石川啄木(岩手県盛岡市出身)を慕って東北・北海道を旅した。
秋田県の能代港や北海道の小樽港を訪れた際の情景が『出船』の歌詞に大きな着想を与えているという。
はたして作詞者は、どのようなコースで石川啄木ゆかりの地を辿って行ったのだろうか?簡単にまとめてみた。
写真:冬の小樽港(出典:Wikipedia)
【YouTube】 出船 倍賞千恵子
歌詞:『出船』
今宵(こよい)出船か お名残惜しや
暗い波間に 雪が散る
船は見えねど 別れの小唄に
沖じゃ千鳥も 泣くぞいな
今鳴る汽笛は 出船の合図
無事で着いたら 便りをくりゃれ
暗いさみしい 灯影(ほかげ)の下(もと)で
涙ながらに 読もうもの
北上川(岩手県)
作詞者:勝田香月は、出身地である静岡県沼津市を出発し、石川啄木の出身地である岩手県盛岡市を目指して旅立ったと思われる。
写真は、岩手県から宮城県まで流れる一級河川・北上川(きたかみがわ)。東北地方で最大の河川であり、宮沢賢治や石川啄木(盛岡市)など流域出身者の作品にも取り上げられた。
小樽港(北海道)
勝田は次に岩手県から海路で北海道を目指したようだ。石川啄木は1907年5月から1908年にかけて、北海道小樽市・釧路市で小学校の教員や新聞記者として働いていた。小樽日報では同僚に野口雨情がいた。
『出船』の作詞については、この小樽港と能代港(秋田県)から着想を得たようだ。
写真:天狗山から眺めた小樽市街と小樽港(2011年8月/出典:Wikipedia)
能代港(秋田県)
そして小樽から秋田へ向かった勝田。米代川河口に位置する能代港(のしろこう)は『出船』の作詞に影響を与えたようだ。
写真:能代港(出典:Wikipedia)
Webサイト「風の松原案内」の解説によれば、『出船』の歌詞は、大館から十和田湖へ行く途中、大滝温泉の宿で作られたという。
彼は「出船の思い出から」という文章の中で次のように書いている。
今では世界的名曲となったこの「出船」の作詩は小樽と能代でヒントを得、大滝温泉でまとめた。能代の港では一日歩き回って構想を練った。日本海の暗い波間に粉雪のちらつく日だった。
<Webサイト「風の松原案内」より>
能代火力発電所の北方、はまなす画廊の近くにある小さな展望台付近には、『出船』の歌碑が建立されている。
なお、作詞者の出身地である静岡県の沼津港口公園にも『出船』の歌碑がある。
関連ページ
- 花嫁人形
- 『出船』と同じく杉山長谷夫が作曲した日本の抒情歌
- お立ち酒 宮城県民謡
- おまえお立ちか お名残り惜しい 名残り情けの くくみ酒
- 雪のうた 雪に関する民謡・童謡・音楽
- 雪をテーマとした民謡・童謡・子供の歌まとめ