ゾウのはな子

日本とタイの友好/上野動物園の悲劇

インドから東南アジアまで広く分布するアジアゾウは、タイにおいては色の白いゾウ(白象)が古くから神聖視されており、王の威厳を象徴する聖なる存在として昔からタイ王家に珍重されてきた。

1855年にはラーマ4世(モンクット王)が赤字に白像を王家のシンボルとして配し、これを正式な国旗として採用した(右挿絵)。この旗は、第一次世界大戦後の1916年までタイ国旗として用いられている。

上野動物園のアジアゾウ「花子」

日本との友好・親善のために、過去にタイ王国から日本へアジアゾウが何度が贈呈されているが、今日最も有名なゾウとしては、1935年に贈られた「花子」が真っ先に挙げられるだろう。

太平洋戦争中の1943年、空襲により動物園のオリが破壊され猛獣が逃走する危険性があったため、東京都は猛獣の殺処分命令を出した。

職員たちの反対の中、上野動物園でも同命令が実行に移された。ライオンや熊、そしてゾウの花子にも毒の入ったエサが与えられたが、象たち(実際には3頭いた)はエサを吐き出してしまった。

近隣の住民に不安を与えるため銃は避けられ、ゾウの皮膚は固く注射針も通らないため、やむなく餓死させる手段が選ばれた。ゾウの花子たちはエサをもらうために必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー(花子)、そしてトンキーの順に餓死していった。

この出来事は1951年に童話化され、1970年にノンフィクション童話「かわいそうなぞう」として出版されベストセラーとなった。2005年時点での発行部数は220万部を超え、その後何度かテレビドラマ化もされている。

タイより二代目「はな子」寄贈

戦後の1949年、タイの要人より二代目「はな子」が上野動物園に寄贈された。その後「移動動物園」として全国を巡回し、井の頭自然文化園を3年連続で訪れると、武蔵野市や三鷹市で「はな子」の人気が高まり、1954年、上野動物園から井の頭自然文化園に正式に引越しとなった。

タイから日本の子供たちへ贈られた2代目「はな子」

ゾウの「はな子」は、2012年5月現在も生存している。ただ、高齢のため体力が落ちており、観覧時間が制限されるなど慎重な健康管理がなされている。

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