コーヒーとクロワッサンの由来はウィーン包囲?
オスマン帝国がウィーンにコーヒーとクロワッサンを伝えた?
ウィーンにコーヒーが伝わったのは、オスマン帝国による第二次ウィーン包囲が失敗した際に、オスマン軍が塹壕に残していったコーヒー豆をコルシツキーが戦利品として拝領し、ウィーン初のコーヒーハウスを開業したのが始まりだとする有名なエピソードが残されている。
また、クロワッサンはこの戦いの勝利を記念してトルコ国旗にデザインされた三日月をかたどったものであるとする説もある。
いずれのエピソードも信憑性には疑問の余地が少なくないようだが、当時のトルコがヨーロッパに与えた衝撃や影響の大きさを物語る興味深いエピソードであることは間違いなさそうだ。
ウィンナ・コーヒーは日本だけ
ちなみに、日本ではホイップクリームを浮かべたもの、またはカップに入れたホイップクリームに熱いコーヒーを注いだもの「ウィンナ・コーヒー(ウィーン風のコーヒー)」と呼ぶことがあるが、本場ウィーンではこのようなコーヒーは存在せず、ウィンナ・コーヒーという名前のコーヒーもない。
昔の漫画などで、ウィンナーソーセージがコーヒーに丸ごと一本浸かったものが「ウィンナ・コーヒー」として出されるというギャグ的な展開が見られることがあったが、これも日本独自のネタということになるだろう。
ただ、似たような飲み物として「アインシュペナー(Einspänner、一頭だての馬車)」や「カフェ・ミット・シュラーグオーバ(Kaffee mit Schlagobers)」などがある。
写真:アインシュペナー(出典:Wikipedia)
アインシュペナーはグラスに注がれたコーヒーにほぼ同量の生クリームが乗っており、カフェ・ミット・シュラーグオーバは、コーヒーのカップとは別の器に砂糖をかけたホイップクリームと水が添えられている。
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