職を転々とするウィリアム・フォスター
父ウィリアムの晩年とは?
19世紀アメリカ民謡の父 フォスター特集
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50歳前後になった父ウィリアムは、運河の料金徴収役や、ピッツバーグで小売店を開くなど、いくつかの職を転々としていた。
しかしどれもパッとせず、比較的短期間でやめてしまったようだ。一時期は本当に何も職についていなかった時期があったという。
無職の苦しい時代でも、所有していた土地からわずかながらの賃貸収入があったり、ウィリアムJrから援助を受けたりと、なんとか生活を保つことができていたようだ。
1847年(68歳)には、メキシコ戦争の退役軍人を相手にビジネスを始め、ある程度軌道にのったものの、以前のような裕福な状態には戻ることはできなかった。
発作で寝たきりに 孫娘の顔を見ることができたか?
父ウィリアムは、1851年(72歳)の時に発作を起こして倒れ、それ以降は寝たきり生活に入った。当時の平均寿命からすれば、来るべき時がきたということだったのだろう。とはいえ、この年まで元気でいられた事は恐らくそれだけで幸せだったのだろう。
この頃、スティーブンは1850年にジェーンと結婚し、翌年には長女マリアンも生まれている。父ウィリアムとしては、自分が生きているうちに孫娘の顔が見られて、もう思い残すことはなかったのではないか。
ちなみに、この時期にスティーブン・フォスターが発表した作品は次のとおり。
- 1851年 故郷の人々
- 1852年 主人は冷たい土の中に
- 1853年 ケンタッキーの我が家
- 1854年 金髪のジェニー
この時期のスティーブン・フォスターは毎年のように大ヒット曲を生み出しており、頑張っている自分の姿を見せて、病床の父に少しでも喜んでもらいたいという意気込みが感じられるようだ。そんなスティーブンの頑張りもむなしく、父ウィリアム・フォスターは1855年7月27日、75年の人生を終えて静かにこの世を去っていった。
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