七夕に髪を洗うと髪が美しく綺麗になる?
平安時代には既に貴族の女性が七夕に髪を洗っていた
7月7日の七夕(たなばた)に女性が髪を洗うと、髪が美しく綺麗になるという迷信の由来・起源について、少し考えてみたい。
七夕の全般的な由来・起源については、こちらのページ「七夕 たなばた 起源・由来 物語・ストーリー」を適宜参照されたい。
あまり髪を洗う習慣がなかった頃の迷信?
ほぼ毎日髪を洗う習慣や環境が整っている現代社会においては、「七夕だから髪を洗う」という意識を持たなくても、ちょうど七夕の日に習慣で髪を洗っていることが多いので、現代人からすれば、あまりこの迷信に存在意義は感じられない。
この迷信に存在意義を見出そうとすれば、現代のように女性が頻繁に髪を洗う習慣や環境が整っていなかった時代で、あえて七夕の日を選んで意識的に髪を洗う必然性があった時代環境が前提条件となる。
江戸時代には女性の洗髪は月一回
女性が髪を洗う頻度や洗い方について、現代文化とも関連の深い江戸時代までさかのぼってみたい。
江戸時代には、庶民の女性が髪を洗うのは月に1~2回程度で、普段はクシでブラッシングしてフケを落とし、髪の匂いは髪油の匂いでごまかしていたという。
女性は自宅でお湯を沸かして、ふのりや椿油の搾りかすなどをシャンプー代わりにして洗っていたようだ。
ちなみに、当時は火事を防ぐため、自宅でお風呂を持つことは禁じられており、お湯を大量に使うので銭湯での洗髪も禁止されていたそうだ。
天の川の織姫・彦星伝説と関係?
あまり洗髪をしなかった江戸時代であれば、七夕の日以外に洗髪しても普段と比べてかなり髪は綺麗になりそうだが、あえて七夕の日と関連付けるとすれば、やはり天の川の織姫・彦星伝説とのつながりを避けては通れないだろう。
愛し合う二人が天の川で隔てられ、年に一回七夕の夜に再会を許されるというシチュエーションは、江戸時代の女性の心にも訴えかけるものはあったと思われる。
夜空に恋愛の波動が満ち溢れた七夕の夜に女性が髪を洗えば、織姫・彦星の燃え上がる愛のご利益で女性の髪が美しく輝くという想像や願望が生まれることは、それほど突拍子もないことではなさそうだ。
平安時代でも七夕に洗髪していた
平安時代に成立した「うつほ物語(宇津保物語)」の記述によれば、貴族の女性が七夕の日に川で髪を洗う様子が描写されている。
かくて、七月七日になりぬ。賀茂川に御髪すましに、大宮より始め奉りて、小君たちまで出で給へり。賀茂の川ほとりに桟敷うちて、男君たちおはしまさうず。
その日の節供、川原にまいれり。君たち御髪すまし果てて、御琴しらべて、七夕に奉り給ふほどに、春宮より大宮の御もとに、かく聞こえ給へり。
<引用:「うつほ物語」より『藤原の君』>
7月7日の七夕に、賀茂川で姫君たちが髪を洗った様子がよくわかる。七夕に女性が髪を洗うという習慣は、すでに平安時代の頃から存在していたことになる。
身を清める夏の神事と関連?
七夕に女性が髪を洗うと髪が美しく綺麗になるという迷信の由来・起源については、七夕の前後に行われていた神事や禊(みそぎ)も関連があるように思われる。
日本では古来から、6月末に「夏越の祓(なごしのはらえ)」という神事が行われている。これは年越の祓と対を成す行事で、半年間にたまった穢れ(ケガレ)を祓い、7月に水の神を迎えるため身を清めるもの。
さらに「夏越の祓」から一週間後の7月7日には、お盆に祖先の霊を迎えるため、精霊棚や幡(はた)を準備して、川などで禊(みそぎ)を行い身を清める「七日盆(なぬかぼん)」という行事が行われている。
7月7日に精霊棚や幡(はた)を準備することから、この日が「たなばた」と呼ばれるようになったと説明されることもあるようだ。
これらの行事が示すように、かつて七夕前後の夏の時期には、穢れを川に流したり、川で禊(みそぎ)を行うことで、穢れを祓い身を清める神事が行われており、こうした神秘的・霊的な力により、七夕に女性が髪を洗うと髪が美しく綺麗になるという迷信につながっていったのではないかと考えられる。
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