勝鬨橋 かちどきばし 由来と歴史

日本海軍発祥の地・築地と勝鬨橋の関係とは?

隅田川に架かる勝鬨橋(かちどきばし)の名前の由来や橋の歴史について、簡単にまとめてみた。

写真:勝鬨橋と隅田川(出典:Wikipedia)

戦国時代の勝ち戦などで行われる「勝鬨(かちどき)」が橋の名前になった理由とは?なぜ築地の近くの橋なのか?

その理由は、明治維新後の日本海軍の歴史と密接にリンクしている。

なお、「勝鬨(かちどき)」については、こちらの「鬨の声 ときのこえ/勝鬨 かちどき 漢字の意味・由来」も是非参照されたい。

黒船来航から明治維新まで

日本海軍と築地の関係は、ペリーの黒船来航(1853年)が大きなきっかけとなっている。挿絵は、ペリーに随行した画家によるリトグラフ(出典:Wikipedia)。

江戸幕府は海軍の創設に乗り出し、1855年に長崎海軍伝習所を、1857年に築地の講武所内に軍艦教授所が開かれた。

1859年に長崎の方は閉鎖されてしまったため、築地の軍艦操練所は以後、幕府海軍教育の中核施設となった。

やがて明治維新後、1869年(明治2年)には海軍兵学校が、1872年(明治5年)には海軍本省が築地周辺に設立された。

特に、海軍本省跡である元尾張藩別邸、現代ではかつて築地市場内の一角にあった水神社のあたりが、その後の日本海軍発祥の地とされている。

日露戦争と勝どき橋

1904年(明治37年)2月に開戦した日露戦争では、ロシア帝国が中国から租借しロシア海軍の太平洋艦隊を配置していた旅順(りょじゅん)が激戦地となった。

翌年の1905年1月に旅順を陥落させた日本海軍。祝勝記念として、築地近くの隅田川に有志が「勝鬨の渡し」を設置し、これが後の勝鬨橋(かちどきばし)の名前の由来となっている。

勝鬨橋の工事は1933年に着工し、1940年6月14日に完成。大きな船を通す必要があったが、建設費を抑えるため、高架橋ではなく橋が上に開く可動橋として設計された。

2007年には、都道府県の道路橋として初めて、勝鬨橋は清洲橋・永代橋と共に国の重要文化財に指定されている。

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