津軽じょんがら節(じょんから節)

津軽民謡/津軽よいとこお山が高く 水が綺麗で女がよくて

『津軽じょんがら節(じょんから節)』は、津軽三味線の伴奏ととも歌われる青森県の民謡。『津軽よされ節』、『津軽おはら節(小原節)』に並ぶ津軽三大民謡(津軽三つ物)の一つ。

「じょんがら(じょんから)」の意味・語源については、一説によれば、戦国時代に青森県の浅瀬石城(あせいしじょう)下にあった寺の和尚・常椽(じょうえん)の名前に由来するという。

落城した浅瀬石城下の和尚・常椽

時代は豊臣秀吉が亡くなる1年前の慶長二年(1597年)二月、千徳家の浅瀬石城(または浅石城)は敵の大軍に攻められ落城した。城下の寺も荒らされ、常椽(じょうえん)和尚にも敵の追手が及んだ。

孤軍奮闘するも、所詮は寺の和尚。軍勢の武力にはかなわず、東の山まで追い詰められた常椽和尚は、絶体絶命の状況に覚悟を決め、がけの頂上から浅瀬石川に飛込んで自ら命を絶った。

写真:現在の浅瀬石川

和尚の亡骸は手厚く葬られ…

それから数年後、村の子供等が浅瀬石川の川原で砂遊びをしていると、偶然砂の中から誰かの亡骸が見つかった。大人たちが駆けつけ確認すると、それは浅瀬石城下の和尚・常椽であると分かった。驚いた村人たちは急いで墓を作り、和尚を手厚く葬った。

常椽(じょうえん)の墓が建てられた川原の一帯は、のちに和尚の名前をとって「常椽川原(じょうえんかわら)」と名付けられた。毎年お盆の時期になると、供養と慰霊のために常椽川原に集まり盆踊りが行われたという。

歌で昔を偲んだ村人たち

滅ぼされた浅瀬石城の千徳家は武装解除され、常椽川原(じょうえんかわら)の村人たちは、他大名の支配下で厳しい農作業に従事していたが、かつて栄えた千徳家を偲び、物語を語る「口説節(くどき節)」として過去の歴史を語り継いでいったという。これが今日の「じょんがら(じょんから)節」の由来となっている。

【試聴】藤あや子『津軽じょんがら節』

【試聴】はなわ ちえ 「津軽じょんがら節」 独奏

代表的な歌詞

お国自慢のじょんがら節よ
若い衆唄えば主(あるじ)の囃子
娘踊れば稲穂も踊る

今宵おいでの皆様方よ
さあさこれからじょんから節を
歌いまするよ お聞きをなされ

声はこの通り塩がら声で
調子はずれのこの節廻し
どこがよいやら男が惚れる

津軽よいとこお山が高く
水が綺麗で女がよくて
声が自慢のじょんがら節よ

関連ページ

地元の民謡・ご当地ソング
津軽じょんから節、ソーラン節、ちゃっきり節など、日本全国各地の民謡・ご当地ソング特集