さんさ時雨(しぐれ)

宮城県民謡・祝い歌

『さんさ時雨(しぐれ)』とは、宮城県に伝わる古い民謡。結婚式(祝言)や新築祝いなど、おめでたい席で歌われる祝い歌として現代まで歌い継がれている。

宮城県といえば、仙台藩初代藩主を務めた戦国大名・伊達政宗(だて まさむね/1567-1636)が有名だが、一説によれば、この『さんさ時雨』の由来も伊達氏との関わりがあるという。

1589年(天正17年)、伊達政宗軍は磐梯山(ばんだいさん/上写真)裾野の摺上原(すりあげはら)で会津の蘆名(あしな)氏と合戦し大勝した。

この「摺上原の戦い」において、伊達軍の将兵が即興で詠った句を伊達政宗が気に入り、後に歌詞を整えてを付けさせたのが『さんさ時雨』のルーツとする説が広く知られている。

長男秀宗と宇和島藩経由で流入?

ただ、伊達政宗を『さんさ時雨』のルーツとする説については異論もある。一説によれば、江戸中期に瀬戸内海沿岸で広まっていた恋の流行唄が、伊達政宗の長男秀宗が治める宇和島藩経由で伝わったという(雄山閣「日本民謡大事典」)。

1614年(慶長19年)、大坂の役(冬の陣)における功労で、伊達軍は伊予(現在の愛媛県)宇和郡に領地を賜り、伊達政宗の長男(庶長子)である秀宗(ひでむね)が宇和島藩(うわじまはん)の初代藩主となった。

政宗と秀宗は一時期は仲違いもあったが、政宗の晩年は親子として親密な関係を保ち、和歌を交歓したり、茶道具が政宗から秀宗に贈られるなど、両藩で文化的な交流がなされた。

果たして本当に『さんさ時雨』のルーツとなる曲が宇和島藩から仙台藩へ伝わったのかについては確かめようがないが、伊達家の交流があったことは事実であり、その流れにおいて、民謡のルーツが伝播した可能性は少なからずあるように思われる。

ご興味のある方は、『さんさ時雨』と愛媛県民謡『宇和島さんさ』の関係などをさらに調べてみると面白いかもしれない。

歌詞の意味について

さんさの意味は?

『さんさ時雨』の曲名や歌詞にある「さんさ」の意味については、「さっさ」と同じく、時雨(しぐれ)の降る音からきた言葉であると一般的に説明されている。

ちなみに、富山県民謡『こきりこ節』にも「さんさ」という語句が用いられているが、宮城県民謡『さんさ時雨』との関係性は明らかではない。

また、岩手県の伝統行事「盛岡さんさ踊り」にも同様の囃子言葉(はやしことば)・掛け言葉が使われているが、果たしてこれらの「さんさ」に類似性や共通のルーツは見いだせるのだろうか?今後の研究の発展が待たれる。

ショウガイナの意味は?

『さんさ時雨』の歌詞で各節の最後に必ず歌われる「ショウガイナ」の意味については、発音だけみれば「しょうがないな(仕方がないな)」が一番近い言葉として思い浮かぶが、どうやら「ああそうかいな」、「それからどうした」といった軽い合いの手としての意味合いが強いようだ。

他の民謡では「ションガイナ」として用いられることが多く、山梨県民謡『縁故節』、愛知県民謡『岡崎五万石』、愛媛県民謡『宇和島さんさ』、江戸端唄『梅は咲いたか』などでその使用例が見られる。

【試聴】祝言唄 さんさ時雨

代表的な歌詞の一例

さんさ時雨か 茅野の雨か
音もせで来て 濡れかかる
ショウガイナ
ハァ メデタイ メデタイ

この家座敷は 目出度い座敷 
鶴と亀とが 舞い遊ぶ
ショウガイナ
ハァ メデタイ メデタイ

雉子(きじ)のめん鳥 小松の下で
つまを呼ぶ声 千代千代と
ショウガイナ
ハァ メデタイ メデタイ

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