長崎ぶらぶら節 歌詞の意味

秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶーらぶら♪

『長崎ぶらぶら節』は、江戸時代の俗謡・流行歌に由来する長崎県民謡。長崎市内で広まったお座敷唄で、単に『ぶらぶら節』とも呼ばれる。

歌詞では、諏訪神社、丸山の茶屋「花月」、梅園身代り天満宮などの長崎市の名所・名物などが歌われている。

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作詞家・作家のなかにし礼は、『長崎ぶらぶら節』を題材とした同名の小説で1999年に直木賞を受賞。同小説は吉永小百合主演で翌年に映画化された。

『長崎ぶらぶら節』には様々な歌詞が存在するが、中でも特に有名な歌詞について、その意味を一つ一つ解説してみたい。小説・映画についても後述する。

【YouTube】 長崎ぶらぶら節 川崎桂子

長崎名物 はたあげ盆祭り

 長崎くんち

長崎名物 はたあげ盆祭り
秋はお諏訪のシャギリで
氏子がぶーらぶら
ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

「はたあげ」とは、凧揚げ(たこあげ)のこと。「紙鳶揚げ」とも表記される。江戸時代の長崎出島ではインドネシア系の菱形凧が持ち込まれ、凧揚げが盛んに行われた。長崎では凧は「ハタ」と呼ばれた。

「お諏訪」とは、長崎くんちで有名な長崎市の諏訪神社のこと。

「シャギリ」とは、笛・太鼓・鉦(かね)などによるお囃子(はやし)。歌舞伎や寄席の太鼓などもこう呼ばれる。

「氏子」(うじこ)とは、神社のある地域に住む人のこと。

「ちゅう」とは、「~という」が変化したもの。『長崎ぶらぶら節』のルーツである江戸時代の『やだちゅう節』の名残。

遊びに行くなら 花月か中の茶屋

長崎・史跡料亭「花月」

写真:長崎・史跡料亭「花月」(出典:じゃらんnet)

遊びに行くなら 花月か中の茶屋
梅園裏門叩いて
丸山ぶーらぶら
ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

長崎の丸山は、江戸時代に吉原、島原(京都)と並ぶ天下の三大遊郭として栄えた町。

由緒ある丸山の妓楼・引田屋(ひけたや)には離れの茶屋「花月」があり、井原西鶴、向井去来、頼山陽、円山応挙、与謝野鉄幹、北原白秋など数多くの文人墨客が訪れた。

海外からは、「革命の父」孫文やドイツの医師シーボルトなども立ち寄っている。幕末には、坂本龍馬など維新の志士らが出入りした。龍馬直筆の書なども残されている。

花月は現在でも、県指定史跡の料亭として営業を続けている。

梅園 身代り天満宮

「梅園(うめぞの)」とは、花月の裏にある身代り天満宮のこと。 「中の茶屋」はその裏手にある有名な茶屋。

梅園身代り天満宮

写真:梅園身代り天満宮(出典:長崎市公式観光サイト「あっと! ながさき」)

身代りの由来について

江戸時代にこの天満宮を創設した安田次右衛門は、ある夜何者かに襲われ、左脇腹を槍で刺され倒れた。

槍で刺されたはずだったが、おかしなことに体のどこにも傷がない。自邸に戻ってみると、祠(ほこら)の天神像が左脇腹から血を流していたという。

この祠は身代り天満宮として丸山の遊女達が参拝に訪れ、『長崎ぶらぶら節』にゆかりの深い愛八もよく参拝していたようだ。

小説・映画化

細川たかし『北酒場』や北島三郎『まつり』を手掛けた作詞家・作家のなかにし礼は、『長崎ぶらぶら節』を題材とした同名の小説で1999年に直木賞を受賞。

同小説は吉永小百合主演で翌年に映画化され、吉永小百合は第24回日本アカデミー賞における最優秀主演女優賞に輝いた。

なかにし礼「長崎ぶらぶら節」(新潮文庫)

写真:なかにし礼「長崎ぶらぶら節」(新潮文庫)

西條八十役は岸部一徳(きしべ いっとく)、古賀十二郎役は渡哲也(わたり てつや)が演じた。

音楽は、ドラマ「ショムニ」、「ごくせん」、NHK大河ドラマ「天地人」などを手掛けた大島ミチルが担当。

小説と映画のヒットによって、古き花街・丸山は再び脚光を浴び、愛八の足跡を訪ねて歩く観光客が急増した。

あらすじ・ストーリー

日本三大花街の一つである長崎・丸山で10歳から奉公を始め人気芸者となった名妓・愛八は、若手を教える立場になったころ、「長崎学」の先駆者として知られた古賀十二郎から誘われ、古老らを訪ね歩く旅を始める。

民謡、子守歌、隠れキリシタンの聖歌など貴重な歌を記録する旅の中で、愛八は忘れ去られ温泉町の老妓がかろうじて覚えていた「ぶらぶら節」と出会う。

愛八の歌う「ぶらぶら節」は民謡探訪の取材をしていた詩人の西条八十に感銘を与え、西条のプロデュースにより1931年(昭和6年)にレコード化される。

その他の歌詞

大井出町の橋の上で 子供のはた喧嘩
世話町が五、六町ばかりも
ニ、三日ぶらぶら
ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

梅園太鼓に びっくり目を覚まし
必ず忘れぬように また来て下しゃんせ
しゃんせしゃんせと 云うたもんだいちゅう

旗揚げするなら金毘羅風頭(こんぴらかざがしら)
帰りは一杯機嫌で
瓢箪ぶらぶら
ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

今年ゃ十三月 肥前さんの番替わり
城ヶ島(四郎ヶ島)見物がてらに オロシャがぶうらぶら
ぶらりぶらりと いうたもんだいちう

嘉永七年 甲(きのえ)の寅の年
先ず明けまして 年頭(ねんと)の御祝儀 一杯屠蘇機嫌
酔うた酔うたと云うたもんだいちゅう

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