ガンジー不服従運動 インド

マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi/1869-1948)

18世紀後半、インドにおける最後にして最大のイスラム帝国、ムガル帝国(ムガール帝国)の衰退に伴い、イギリスフランスの東インド会社がインドでの貿易権をめぐって戦争を繰り広げた。

イギリス東インド会社の侵略

1757年にムガル帝国とフランス東インド会社の連合軍をイギリス東インド会社が撃破。

以降はイギリスによってインドの植民地化が進められた。植民地のインドで栽培されたアヘン(阿片)は清国に密輸出され、1840年のアヘン戦争につながった。

ムガル帝国(ムガール帝国)第17代皇帝バハードゥル・シャー2世がビルマに追放され帝国が滅亡すると(1858年)、イギリス政府はインドの直接統治を開始。1877年にはイギリス領インド帝国(英領インド・英印)が成立した。

イギリスの裏切り 抵抗を呼びかけるガンジー

1914年勃発した第一次世界大戦では、イギリスは将来の自治を約束することで、インドにイギリス軍への協力を要請した。

この約束を信じたガンジー(マハトマ・ガンディー/Mohandas Gandhi/1869-1948)は、インド独立への夢を抱きながら、イギリス植民地軍への志願を呼びかける運動を行った。しかし、戦後にその約束が果たされることはなかった。

失望したガンジー(ガンディー)は以後、生涯にわたってイギリスに対する非暴力・不服従運動を展開する。上の写真は、有名な「インドの糸車を廻すガンディー」。

イギリス製の綿製品を拒否し、インドの伝統的な綿製品の着用を呼びかけた。さらにイギリス系の教育機関や法律・裁判所などをボイコットした。

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