幸せの黄色いリボン 歌詞の意味・和訳

彼女はまだ僕を必要としてくれるだろうか?黄色いリボンの風習とは?

『幸せの黄色いリボン』は、アメリカのポップスグループ、トニーオーランド&ドーン(Tony Orlando & Dawn)が1973年にリリースしたポピュラーソング

英語の曲名は『Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree』(タイ・ア・イエロー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・ツリー)。意味は「古い樫の木に黄色いリボンを結んで」。

ジャケット写真:トニーオーランド&ドーン ベスト盤

同曲はトニーオーランド&ドーン最大のヒット曲となり、黄色いリボンを結び付けて大事な人の帰りを待つ(迎える)という歌詞の内容は、1970年代のアメリカ文化に大きな影響を与えた(詳細は後述)。

ちなみに、ジョン・ウェイン主演の映画『黄色いリボン』で使われたアメリカ民謡『She Wore a Yellow Ribbon』についてはこちらで解説している。

【YouTube】Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree

歌詞の意味・和訳(意訳)

『Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree』

作詞:Irwin Levine
作曲: L. Russell Brown

I'm comin' home,
I've done my time
Now I've got to know
what is and isn't mine

僕は刑期を終えて
家路に向かうバスの中
身に染みて分かったよ
何が自分のものか
そうじゃないかを

If you received my letter
telling you I'd soon be free
Then you'll know just what to do
If you still want me
If you still want me

手紙は届いたかな
僕はもうすぐ自由の身になる
頼み事は伝わってるだろう
もし君がまだ僕を
必要としてくれているなら

CHORUS
Whoa, tie a yellow ribbon
'round the ole oak tree
It's been three long years
Do ya still want me? (still want me)

古いオークの幹に
黄色いリボンを結んでおいておくれ
もう3年も経ってしまった
君はまだ僕を
必要としてくれているかな?

If I don't see a ribbon
'round the ole oak tree
I'll stay on the bus
Forget about us
Put the blame on me
If I don't see a yellow ribbon
'round the ole oak tree

もし黄色いリボンがなかったら
僕はバスを降りず
君との事は忘れることにするよ
悪いのは僕なんだから

Bus driver, please look for me
'cause I couldn't bear
to see what I might see
I'm really still in prison
And my love, she holds the key
A simple yellow ribbon's
what I need to set me free
I wrote and told her please

バスの運転手さんよ
僕の代わりに見ておくれ
とても自分じゃ
見られそうに無いんだ

僕はまだオリの中も同然
僕の恋人 彼女が鍵を握ってる
ただの黄色いリボンだけど
僕が自由になるために必要なんだ
彼女に手紙を書いて頼んである

Now the whole damned bus is cheerin'
And I can't believe I see
A hundred yellow ribbons
'round the ole oak tree

I'm comin' home, mmm, mmm

バスの乗客がみんな騒いでる
目の前の光景が信じられないよ

100個もの黄色いリボンが
古いオークの幹に
結ばれていたんだから

さあ故郷に帰ろう

歌詞の元ネタはピート・ハミル?

ニューヨーク・ポストの名物コラムニストとして有名なジャーナリスト・小説家のピート・ハミル(Pete Hamill)は、『幸せの黄色いリボン』の歌詞のストーリーは自分が執筆したコラムが元ネタだと主張して、訴訟を提起した。

元ネタと主張するそのコラムとは、ピート・ハミルが1971年10月に執筆した「Going Home(ゴーイング・ホーム/帰省)」。ピート・ハミル著 『ニューヨーク・スケッチブック/河出文庫』に掲載されている。

その内容は、ある大学生がバスの旅へ出かけ、その旅の途中である前科者と友達になり、その前科者は、道路沿いのオークの幹に黄色いハンカチが結ばれているかを気がかりにしているとのストーリー。

このコラムは、1972年6月にアメリカのABCテレビでドラマ化されたほか、山田洋次監督による1977年の日本映画「幸福の黄色いハンカチ」原作としてクレジット表記されている。

訴訟の結果は、ピート・ハミル側の敗訴。監獄に入っていた年数や、「ハンカチ」と「リボン」の違いこそあれ、ストーリーの大筋は一致しており、ピート・ハミルの主張はもっともなように思われたが、例のコラムより前に書かれた文献が証拠として提出され、彼の請求は結局棄却されてしまった。

1970年代アメリカで広まった黄色いリボン

黄色いリボンを結びつけて人の帰りを待つという風習は、1970年代前後のアメリカで広まった。イラク戦争、湾岸戦争時においては、戦場に赴いていった愛する家族の無事の生還を祈って、玄関やベランダなどに、黄色いリボンを飾る家が数多く見られた。

1972年のウォーターゲート事件では、選挙運動本部長のジェブ・スチュアート・マグルーダー(Jeb Stuart Magruder)が逮捕・投獄されたが、彼の妻はポーチに黄色いリボンを巻きつけ、監獄からの夫の帰りを待っていた。彼女の姿は、アメリカのイブニングニュースで1975年1月に報道された。

写真:帰還する人質らと黄色いリボン(出典:wikipedia)

1979年のテヘラン米大使館占拠・人質事件では、人質の妻が夫の無事の生還を祈い、オークの幹に黄色いリボンを巻きつけている姿がアメリカのニュース番組で大きく報道され、黄色いリボンの文化に注目が集まった。

(写真)テヘラン米大使館占拠事件に関連し、黄色いリボンをオークに巻きつける女性Photo by Greg Jenkins. copyright (c) American Folklife Center, The Liberty of Congress

1970年代のアメリカにおける黄色いリボンの風習は、1973年の大ヒット曲『幸せの黄色いリボン』が大きく影響していることは言うまでもない。

元々は白いリボンだった?!

歌詞の元ネタを主張したピート・ハミルが敗訴したように、1971年に執筆された彼のコラム以前にも、同様の伝承・ストーリーはアメリカに存在していた。

1959年に刑務所改革について書かれた「Star Wormwood」では、白いリボンとリンゴの木が登場する次のような言い伝えが掲載されている。

この言い伝えについて、アメリカ国立図書館アメリカフォークライフセンターの記事を翻訳・要約したストーリーをご紹介したい。

白いリボンと花

「Star Wormwood」著者であるペンシルバニア州の法律家Curtis Bokによれば、彼はこのストーリーを、州刑務所の刑務所長Kenyon J. Scudderから伝え聞いたとしている。

白いリボンとリンゴの木

汽車の中で、ある二人の男が知り合いになった。一方の男は控えめな性格だったため、彼自身について語らせるのに大変苦労したが、その男は、故郷から遠く離れた刑務所での5年の服役を終えて家に帰る途中とのことだった。

彼の友人達は貧しくて彼に面会に来たことは一度もなく、また彼の友人らは文盲であったため、その男は友人らに自分の出所を知らせるサインを手紙で送っていた。

その手紙の中で、もし友人らが彼の帰りを望んでいたら、線路沿いの庭の端の大きなリンゴの木に白いリボンを結びつけておくようにと頼んでおいた。

もし友人らが彼の帰りを望まない場合、彼は電車に乗り続け、どこか他の町で生活を送ることになる。

故郷が近づいてきたが、彼はとてもリンゴの木を見る事ができなかった。汽車で知り合った男に、代わりに窓沿いに座ってもらい、リンゴの木の様子を見てもらう事にした。

リンゴの木を見ていた男は、しばらくして叫んだ。

「あったぞ!」

「やった!木全体が白いリボンだらけだ!」

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