ダニーボーイの作詞者は?
法律のできる多才なソングライター

ダニーボーイの謎 Danny Boy

ダニーボーイの作詞者は、弁護士であり有名なソングライターでもあったFrederic Edward Weatherly(フレデリック・エドワード・ウェザリ/1848-1929)と言われています。

彼は1848年にイングランド地方南西部のサマーセット州ポーティスヘッド(Portishead, Somersetshire)に生まれ、Braesnose大学で法律を学び、その後は法廷弁護士として活躍しました。

彼は弁護士業の傍ら、研究所や子供向けの本、ポエムの創作などを手がけるなど多才振りを発揮しました。中でもソングライターとしての顔は有名で、生涯で数千曲の歌詞を生み出し、その中から実際に千曲以上出版されたそうです。

ただ、有名になったのは作品数が多いという点であり、後世まで語り継がれる作品がいくつも生まれたかというと、どうやらそうではなかったようです。

最初のダニーボーイはイマイチだった?

そんな彼がダニーボーイの歌詞を創作したのは、第一次世界大戦を数年後に控えた1910年、彼が62歳のときです。最初は、彼自身が作曲したメロディでダニーボーイを発表してみたのですが、どうもこれが受けが悪く、しばらくの間お蔵入りすることになってしまいます。

確かに、数多く生み出してきた千曲以上の一曲が売れなかったぐらいの話ですから、それほど落胆はしていなかったかも知れません。とはいえ、自分の生み出した作品には愛着が沸きますから、もし機会があれば手直しを加えてもっといい作品にしたいと思っていたに違いありません。

アメリカに住む義理の妹が書きとめたメロディー

そうこうしているうちに2年が経過していた1912年のある日、アメリカに移住していた義理の妹Margaret Weatherlyが、彼の元にあるメロディを送ってきました。そのメロディーとは、今日知られる「Londonderry Air」の旋律(またはそれに近いもの?)で、彼女は以前から彼がソングライターであることを知っており、移住先のある場所で素晴らしいアイルランド民謡のメロディーを聞きつけ、彼に聞いてもらうために慌ててそのメロディーを書きとめたのです。

彼はこのメロディーを聞くや否や、すぐにこれが2年前に自分が発表した「ダニーボーイ」の歌詞にピッタリのメロディーであることに気付きました。メロディーが変わったので歌詞にもいくつかの修正を加えた上で、1913年に新生「ダニーボーイ」として発表したところ、そのメロディーの素晴らしさと歌詞の切ないストーリーとが相俟って、たちまち多くの人の絶賛を浴びることとなったのです。

アイルランド民謡のメロディがいかにして
アメリカの義理の妹に伝わったのか?

ところで、アイルランド民謡のメロディーが、イギリスに住むフレッドではなく、何故アメリカに住む義理の妹が知ることになったのか?何故こんな逆輸入みたいな流れをたどることになったのか?ひとつの理由としては、フレッドは一度もアイルランドに行ったことがなく、アイルランド民謡にも興味がなかったことが挙げられますが、次ページではアイルランドからアメリカへの人の流れを中心に、更に謎に迫ります。

【次のページ】 3.アイルランドからアメリカへ①

ダニーボーイの謎 目次

  1. 父親の歌?母親の歌?
  2. 法律のできるソングライター
  3. アイルランドからアメリカへ①
  4. アイルランドからアメリカへ②
  5. ロンドンデリーの歌
  6. 盲目のフィドル弾き伝説
  7. 彼女の創作疑惑
  8. 見当たらない彼女のメロディ
  9. 青年の夢
  10. 100曲以上の歌詞

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