「Londonderry Air」の曲名はいつから?

ダニーボーイの謎 Danny Boy

今日知られる「Londonderry Air」のメロディーに「Londonderry Air」という呼び名が付くようになったのは、ジョージ・ペトリー(George Petrie)のアイルランド民謡概説書「The Ancient Music of Ireland」が出版された1855年から20年近く後の1894年の事。

Katherine Tynan Hinkson が「Irish Love Song」として歌詞をこのメロディーに当てはめてからのことだそうで、Jane RossもGeorge Petrieも出版当時はメロディーのタイトルは知らなかったことは先に述べたとおりです。

1912年に義理の妹がメロディーを聞きつけた時点で、彼女が「Londonderry Air」というタイトルまで確認できていたのでしょうか?

この点、アメリカへ移住したアイルランド人にまでこのタイトルが浸透していたとは思えませんので、義理の妹はタイトルが分からないまま、ただアイルランド系の民謡だという情報のみでフレデリック・エドワード・ウェザリ(Frederic Edward Weatherly)にメロディーを送ったのではないかと考えます。

ちなみに、最初に「Londonderry Air」のメロディーに付けられた歌詞のタイトルは「Confession of Devorgilla」またの名を「Oh! shrive me, father"」というそうです。

同じメロディーに100曲以上付けられた歌詞~トマスムーアも?

「Londonderry Air」のメロディーには、100曲以上の歌詞が付けられたといいますが、今日まで残っている有名な歌詞は数えるほどしかありません。前のページでご紹介したアイルランドの国民的詩人トマスムーア(1770-1852)も実はこのメロディーに「My Gentle Harp(私の優しいハープ)」というタイトルの以下のような歌詞をつけています。

ハープといえば、トマスムーアは「ミンストレルボーイ」の中でも「ハープ」を用いているのが思い出されますが、それだけアイルランド民謡とハープはつながりがあるのでしょう。

My gentle harp, once more I waken
The sweetness of thy slumb'ring strain
In tears our last farewell was taken
And nos in tears we meet again.

Yet even then, while peace was singing,
Her halcyon song o'er land and sea,
Though joy and hope to others bringing,
She only brought new tears to thee.

時代を超えて愛され続けるメロディー

アイルランドのハープ/フィドル奏者等によって世紀を越えて引き語り継がれてきた「Londonderry Air」のメロディー。その美しい旋律は、国を越え世代を超えて様々な形で愛されてきました。アイルランドは長い間イギリスとの政治的・宗教的問題で争いが絶えませんが、ダニーボーイの歌詞のように愛する人を失う悲しみがこれ以上生まれないことを心から祈りたいと思います。

 

ドナドナ研究室No.010 「ダニーボーイ」 完

 

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ダニーボーイの謎 目次

  1. 父親の歌?母親の歌?
  2. 法律のできるソングライター
  3. アイルランドからアメリカへ①
  4. アイルランドからアメリカへ②
  5. ロンドンデリーの歌
  6. 盲目のフィドル弾き伝説
  7. 彼女の創作疑惑
  8. 見当たらない彼女のメロディ
  9. 青年の夢
  10. 100曲以上の歌詞

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