ジョン・ブラウンの魂 行進し続ける彼の精神

リパブリック讃歌の謎 The Battle Hymn of the Republic

黒人奴隷の解放を信じて1859年10月に当時のバージニア州のハーパーズ・フェリーを急襲したジョン・ブラウン。暴動自体は失敗に終わりましたが、彼の身を挺した行動は当時の人々を悪しき奴隷制度の現実に正面から向き合わせました。

1861年4月にサムター要塞が砲撃されて南北戦争が始まると、北軍兵士の間では誰ともなく「ジョン・ブラウンの歌」が口ずさまれていき、後にハウ夫人によって生まれ変わった「リパブリック讃歌」は、連邦統一と奴隷解放を掲げる長き聖戦を兵士達の精神面から支えていったのです。

ジョンブラウンがハーパーズ・フェリーを襲撃したときは、彼は既に還暦(60歳)に近い老人でした。老体に鞭打ち、神の意思を実現する器として自らを奮い立たせ、それまで虐げられてきた黒人達が自らの手で自由を勝ち取るための戦いの火蓋を切るために、無謀とも言える行動に自らの命を賭して挑んだのです。

1859年12月2日、当時のヴァージニア州チャールズタウンで刑を執行された後、ジョンブラウンの遺体はニューヨーク州ノースエルバにあるジョン・ブラウンが所有していた農場に埋葬されました。今でもその農場には彼の墓が大事に管理されており、一般の人も見学することができるようです。

100年後に実現したジョンブラウンの遺志

ジョンブラウンが口火を切ったとさえ言われる南北戦争後は、リンカーン大統領率いる北軍の勝利に終わりましたが、黒人達をとりまく状況にはほとんど変化はありませんでした(参照:ドナ研No.006「リパブリック讃歌 歴史編」~達成できなかった真の解放~)。

しかし、その中でも必死に自由への戦いは止むことはありませんでした。ついに1963年8月、ワシントン大行進にてマーチン・ルーサー・キング牧師/Martin Luther King)が有名な「I have a dream」の演説を行ったことは記憶に新しいですが、きっとジョン・ブラウンが命を賭してまで実現したかったのは、このように黒人達自らが立ち上がる姿だったのかも知れません。彼の思いは、1世紀を経てようやく実現されたのです(画像の出典:ウィキメディア・コモンズ)。

「ジョン・ブラウンの身体が墓の下で朽ちようとも、彼の精神は行進する」

John Brown’s body lies a mouldering in the grave,
His soul is marching on !

images of the grave : courtesy of Findagrave.com

ジョンブラウンよ、永遠なれ

ドナドナ研究室 ファイルNo.007
リパブリック讃歌 誕生編

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リパブリック讃歌 誕生編 目次

  1. はじめに
  2. 父から受け継いだ血潮
  3. シークレット・シックス
  4. 特殊教育の道を開いたハウ氏
  5. ジュリア・ウォードとの出会い
  6. ハウ夫妻と北軍
  7. 真夜中の突然のひらめき
  8. もう一人のジョン・ブラウン
  9. エルズワースの亡骸
  10. グローリー・ハレルヤ
  11. 本当の作曲者は誰?
  12. メロディーの源流?
  13. ジョン・ブラウンの赤ちゃん
  14. 権兵衛さんの赤ちゃん
  15. ジョン・ブラウンの魂

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